■近現代アイヌ史の貴重な基礎資料■
ISBN4-88323-144-5 C0023 Y2500E 体裁:四六判 並製 244ページ 定価 本体2500円+税
◎現代アイヌの縮図を生きる◎本書の主人公は、三十二年間、北海道ウタリ協会理事長を勤めあげ、国連の「国際先住民年」開幕式典で記念演説をし、アイヌ民族の先頭に立って「アイヌ新法」制定に奔走。アイヌ民族のコタンコロクル(首長)の三大条件(容姿・弁論・勇気)を合わせ持つ現代アイヌ解放運動のリーダーの生涯を多方面から照射する。
■本書の内容■
私論・野村義一
座談会・野村義一を囲んで
北海道ウタリ協会略史
資料編
新聞記事「アイヌ民族として」
(『苫小牧民報』)
対談「白老にて貝澤正さんと」
発言集
1 国連総会記念演説
2「日本は単一民族国家か」
3「献血」
4「お祝いのことば」
野村義一関係年譜
■本書「私論・野村義一」結びより■
野村は「変身」したのであろうか。したとすればそれはいつか。どのような要因があったか。
結論から言えば、野村は基本的な部分では変わっていない。幹は変わらず、枝葉のところでは変わったところもあった。「保守的な野村さんが、過激な発言をするようになった」から「変身した」、といわれることが多いが、私はその論に賛成できない。
ウタリ協会に関わる前の野村は、アイヌ問題について「知らないので関心も薄かった」。常務理事になり「道内各地を回りました。そして初めて、アイヌ民族に対する差別の現実を知」り、「アイヌ意識」に目覚めた。
だから、この目覚めをもって「変身」というなら変身といえようが、これは根本からの変身ではなく、「知らなかったことを知った」だけである。
野村は優れた実務家である。漁協の専務として、ウタリ協会の理事長として、会員の現状改善にいかんなく手腕を発揮した。しかし、「ウタリ対策」では、根本からの改善は達し得ないとその限界に悩むことになる。その限界を超えるための、後の「アイヌ新法案」につながる「ウタリ問題特別検討委員会」設置であり、市民外交センターからの国際会議への出席という提言の受け入れであった。
変わったのではなく、そのときそのときの状況や新しい動きなどを機敏に読み取り、最善の策を選択していく、優れた実務家たる野村の面目躍如である。だから、本人も変身の自覚が極めて乏しいのである。過激になったのではなく、過激に見えるほど強い口調で訴えても、実現しない難題を理事長として背負ってしまっただけのことである。
野村が理事長であったときは、「三十二年間、ウタリ協会の理事長をやりましたけど、人間というのは緊張して生きるというのが、頭にも体にも大切ですね。やっぱり三十二年間緊張のぶっ通しでしたよ」(「ゆうゆうインタビュー」)というように、やはり緊張感があってなのか、厳しさばかり感じて「やさしさ」には気づかなかったが、それにしても、野村は優しい人である。
藤本と聞き取りに訪れた際に、難病から歩行に困難が伴う七十六歳の藤本を、そばで何気なくそっとサポートしようとする八十九歳の野村を見た。
小学校の時の恩師の墓参りを欠かさないという。
北海道庁立白老旧土人病院院長であった高橋房次の個人病院の土地が、旧土人病院跡地であり、国有地のままであったのを、功績ある医師だからと国に掛け合って、払い下げを受けれるように計らったり、高橋の息子の嫁さんの老後の世話をする。それも当然のことをしているだけという思いで。
首都圏に暮らすアウタリも、陳情などで東京入りするごとに野村は、あってくれた、とその気遣いに感謝している。
今回、優しい野村を「発見」できたことが最大の収穫であった。
■著者略歴■1954年、埼玉県生まれ。1979年、北海道大学経済学部卒業。1993年、社団法人北海道ウタリ協会事務局職員、現、主任。
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