書籍のご案内(011212現在)
アイヌ民族の宗教と儀礼久保寺逸彦著作集1

佐々木利和編

体裁/A5判 376頁 上製 定価本体6,800円+税

■アイヌ民族が育んだ伝統文化の貴重な実証研究を集大成
内容
(数字は発表年代)
◎アイヌの古俗 酒の醸造及びその祭儀(1935)
 私の親しい北島の友人の語るままを筆録・採集した資料によつて、かつて行われた酒の醸み方、それに関する儀式・祷詞等を紹介。かの民族本来の酒に対する観念は、極めて奥深い信仰に根ざした宗教的なものであつたことを書いてみたい。しかしながら、今、私が書こうとする醸酒法や祭儀が現在もなお行われているものではまったくない。
◎沙流アイヌの祖霊祭祀
(1952)
 アイヌの祖霊祭祀ということは、単独の宗教儀礼としても行われるが、多くの場合、他の多くの祭祀の中に含められるというよりもむしろその一部として必ず行われるものである。例えば、新築祝」においても、「熊送り」の如きにおいても、必ず祖霊祭祀は行われていた。その家で礼拝される神々に対しては、すべて酒と木幣を供え祷詞が捧げられるのである。
◎北海道日高国二風谷コタンに於ける家系とパセ・オンカミ「尊貴神礼拝」(1953)
 「尊貴神礼拝」はアイヌの宗教儀礼中最も重要なものと考えられるもので、その神の名も、これに対する詞の片言隻語も、堅く秘して、他に語るを好まないが、すくなくとも、これはある家系Ekashi-ikirに付随した守護神ともいうべきものである。
◎北海道アイヌの葬制―沙流アイヌを中心として―(1956)
 一章 アイヌの他界観/二章 葬制A/1屍体の処理 2「火の女神」と「死者」への誦呪及びウサムと哭呪 3死者への供物、死者と生者の訣別の会食 4凶報通知 5弔問 6来弔者への饗食 7墓標とその制作 8水汲みの儀 9墓壙の準備  死者への訣別  屍体の包装(納棺)  葬送  埋葬  死産児及び妊婦の死体の埋 葬/三章 葬制B(埋葬以後、喪明まで)/1埋葬の帰途 2埋葬後、喪家に於ける会食(直会) 3通夜 4「屋内の浄め」と「座席変え」 5喪―寡夫と寡婦の喪/四章 葬制に於ける奇習/1ウケエホムシュ(変死者に対する誦呪と強歩の行進) 2家を焼却する習俗 3メッカ打ち 4葬制に関する語句を通じて見たアイヌの宗教観念
 アイヌの死者の国ポックナ・モシリの生活では、現世の生活と同じようになっており、そこにあるものは永遠の生の享楽である。アイヌにとって死は悪魔エンカムイの 神々や人間の繁栄に対する嫉妬から起こると考え、恐怖の対象であり、死霊は忌避・追放すべきものと考えるのに、その死霊が赴く死者の世界は楽土と考えられている。
◎アイヌの建築儀礼について―沙流アイヌよりの聴書き―(1968)
 ひと昔前のアイヌ社会にあっては、木こり、大工、屋根屋等々の専門職人はいなかった。家の建築は親戚、村人の協力によっておこなわれた。建築資材の木材、オニ茅 などはその集落の生活資源の共同採取の場イウォルから採取し、複雑な建築儀礼が存在し、建築儀礼の古習もすでに廃れてしまった。本報告は1935年、日高二風谷の古老二谷國松氏より聞き取ったものである。
◎沙流アイヌのイナウに就いて(1971)
 「イナウ」はアイヌが神々をまつる時に用いる木の幣である。本論文は、北海道南部の日高沙流川筋二風谷で、「熊送り」のときに用いられるイナウを中心に論述。アイヌのイナウが狩猟民族の宗教儀礼のなかで発達したのに対し、日本内地のそれは、農耕民族の稲作儀礼のなかで発達した。同じ北海道のアイヌでも地域的にも用材・形状・手法に多少の差違がある。

《著者略歴》

1902年、北海道紋別郡雄武町生まれ。1925年、國學院大学文学部国文科卒業。1949年、東京学芸大学教授。
1960年、『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』により文学博士。1966年、東京学芸大学退官。駒沢大学文学部教授。
1971年、死去。

本書をすいせんします

◎貴重な記録、穏当な解釈   大林 太良 (東京大学名誉教授)
アイヌ民族の文化が見直され、正当な評価を受ける気運が高まっている。このようなときに久保寺逸彦先生の残した貴重な記録と穏当な解釈がひろく利用できるようになることは、アイヌ文化に関心をもつものにとって大きな喜びである。
◎アイヌが推薦するアイヌの本   萱野 茂 (二風谷アイヌ文化資料館長)
昭和四六年、久保寺逸彦先生の葬儀に列席、その時に金田一春彦先生の弔辞のなかで「貴男には京助という重石があって、アイヌ関係の豊富な研究資料の出版に恵まれなかった。遺された私たちの手で云々……」というくだりがあった。それが現実のものになり、二風谷を舞台に繰り広げられる数々の物語りを同好の方々に一読をお薦めする。

「朝日新聞」(朝刊・文化総合欄)02年9月19日付
アイヌ文化研究者 久保寺逸彦さん
死後30年、著作刊行で光
 生前に一冊も著作を出版しないまま、71年に亡くなっアイヌ文化研究者・故久保寺逸彦さんの著作集が全4巻の予定で刊行中だ。師であるアイヌ語学の創始者・金田一京助博士の陰に隠れがちだが、その研究はアイヌ文化の伝承者が数少なくなった現代において、さらに貴重度を増している。 (小西 正人記者

 「久保寺逸彦著作集」の第1巻『アイヌ民族の宗教と儀礼』 (6800円)は昨年12月に出版された。詳細な聞き取り調整をもとに記した儀式の集大成で、民族独特の家系の神のまつり方や先祖供養の仕方などが詳しく紹介されている。
 アイヌ民族の宗教儀礼は現在では調査がきわめて困難になっている。今年3月にアイヌ文化伝承者の葛野辰次郎さんが亡くなった際、完全なアイヌ式葬儀をするため、研究者が式を取り仕切らざるを得なかったほどだ。
 儀式が宗教的であるほど、外部の人間は入り込みにくい。久保寺氏にそれを可能とさせたのは、平取町のアイヌ文化伝承者・故二谷国松氏との密接な信頼関係だ。自宅に招くなどしながら徹底的に聞き取り調査をした。著作集の図版も、二谷氏の絵を基にしたものが多い。国立博物館の佐々木利和・民族資料室長は「研究者としては、非常にうらやましい関係」という。
 それほどまでに研究に打ち込みながら、久保寺氏は生前、著作を出版することがなかつた。
 その理由を同門のアイヌ口承文芸研究者、萩中美枝さんは「金田一先生の研究を非常に尊重していたから」と推測する。
 萩中さんが一つのアイヌ語に、金田一訳とは別の独自の訳を付けた時、久保寺さんが珍しく「あなた、金田一先生の訳に手を入れるんですか」と声を荒らげた。「先生にもほめられた訳だと説明し、ようやく納得してもらった」と萩中さん。
 そうした研究態度がややもすれば不当な過小評価につながったと、佐々木さんは指摘する。「金田一氏の説に沿った論理でも、それを豊富な資料で裏付けるのが久保寺氏の方法のユニークさだ」ただいま著作集の第2巻『アイヌの文学と生活』の刊行準備中である。

近刊●アイヌの文学と生活●久保寺逸彦著作集2▼2004年4月刊行
アイヌの音楽と歌謡(1938)アイヌ文学序説(1956)アイヌの一生(1969)★掌文集★虎杖の道を辿る(沙流の初踏査紀行)(1933)アイヌ民族の正月の今昔(1937)イムーの話(1938)アイヌの民謡詩人ー鹿田シムカニのことどもー(1944)原住民としてのアイヌ(1949)アイヌの川漁(1953)一昔前のアイヌの子ども(1955) 沙流川のアイヌ(1955)アイヌの遊戯とスポーツに就いて(1956)アイヌ民族の植物の利用(1961)エテノア婆さんの想い出(1964)アイヌの子守唄」(1965)  ( )内論文発表年
◎久保寺逸彦著作集続巻予定◎「アイヌの説話」「アイヌ語辞典稿」
 

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