■ソウルのケイコだ! Seoul
Businesswoman Story
ベンチャービジネスの街テヘランバレーに自社ビルを建てたい! タフな韓国人ビジネスマンに負けじと、今夜も真露を酌み交わし、トホホな恋に微笑む。ビジネスウーマン・ケイコの夢は今日も休まない。
《エピローグ》より
この小説は、1999年5月3日から始めた「Keiko韓国奮闘記」
(http://members.aol.com/seoulkeiko/)上に書き溜めたもののごく一部に、手を加えたものだ。ホームページを開いたのは、人一倍寂しがり屋の私が、日本で見守ってくれている家族や周りの人たちに、毎日奮闘していることを伝えたくてだったが、あるきっかけから人気サイト「伸治の韓国日記」を引き継がせてもらってからは、楽しみにしてくれている読者の皆さんのためにがんばって毎日続けた。
短い旅行は別として、私が本格的に韓国に出会ったのは八年前である。韓国語を学びにソウルに来た私は、ストレートで、激しく、エネルギーが有り余っている韓国人たちに出会って、自分が水を得た魚のように生き生きするのを感じた。他人に迷惑をかけず、自分の感情を抑制して表にあらわさない日本では、味わったことのない開放感だった。
その後日本に帰って大手電機メーカーにごく普通に勤めていた私は、ビジネスを立ち上げるため、勇気と好奇心と勘違いの自信だけを手に、1998年、再び韓国にやってきた。よく、日本の上司に「出べそ」といわれたが、私の夢は世界を相手に仕事をすることだった。日本にいたら決して実現できないと思ったから、自分がのびのびできる国に来てみた。
それからもう四年がたつ。
男性中心の韓国社会で女性が営業をするのはむずかしいといわれながら、財閥メーカー、製造現場の男性たちとぶつかったり、喜びを分かち合ったりしてきた。アジア一お酒の強い彼らと、真露焼酎を負けずに飲んで、次の朝は二日酔いに耐えながら、取引先に出向き、契約交渉をしたりした。
生まれて初めて自分で立ち上げた会社を大きくするために、必死で戦略を練りながら突き進んできた。韓国と日本をいちいち比較して非難している時間はなかった。とにかくお客様は韓国人だったから。
「30歳を過ぎて結婚もしない」と変人扱いされたり、女だからとプライベートまで干渉してくる顧客にめげて泣いたことも数百回。甘酸っぱい恋と、それに続く失恋もいくつか経験した。
お腹の底から訴えれば応えてくれる韓国人には理論や常識では推し量れない情がある。嬉しいときはフィルムが切れる(記憶がなくなる)まで焼酎をとことん飲み明かし、仕事がうまくいかないとき、一人暮らしが寂しいとき、失恋したときは、周りの人に思いっきり迷惑をかけて悲しみを半分にできた。
私はそんな韓国の人たちが大好きである。
この本の読者が、読む前よりもっと韓国を好きになってくれたら幸福だし、もし何とか自分の足で歩きたいと願っている女性たちに「この本を読んでなんだか元気になった」と言ってもらえたら、それ以上望むことはない。
2002年1月10日 ソウルにて 著者
[今年の抱負]
一つ、韓日を結ぶビジネスを成功させる。
二つ、2002年ワールドカップに(それなりに)貢献する。
三つ、2002年に結婚する。そのために、必ず恋人をゲットする。
こうして、わたしの新世紀が始まった。 (本文より)
【各誌に紹介されました】
◎週刊朝日(02.5.3-10号)
◎ステラ(02.4.13-19号)
◎女性自身(02.4.23号)
◎DIME(02.5.2号) ◎週刊女性(02.4.9号)
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