■側近が語る素顔の李登輝
戴国■(火軍 台湾客家出身。歴史家)と王作栄(湖北省漢川出身。経済テクノクラート)の両人は、異なる境遇、異なる人生を歩んだが、不当なことを憎む点で一致する。彼らは縁あって交わったが、李登輝こそがその交点である。これは運命か、それとも偶然か。もともと李登輝と肝胆相照らす友人二人が、最後にはともに永遠の訣別を遂げたのは、一体なにゆえか。本書は、李登輝神話を打破し、公平な歴史的評価を試みる。李登輝讃歌ばかりの日本で、李登輝の正体が初めて検証された。
◎戴国■(火軍)は、1931年台湾桃園県平鎮市に生まれ、台中農学院卒業後、1955年24歳で日本に留学した。1966年東大農学部から農業経済学の学位を得た。学位論文は『中国甘蔗糖業の展開』(アジア経済研究所)である。同年、農学部の恩師東畑精一教授の縁でアジア経済研究所に就職した。半官半民の経済研究所が中華民国籍をもつ研究者を正式職員として招いた嚆矢である。1976年立教大学文学部史学科教授に招かれ、96年3月まで満19年勤めた。96年5月直接選挙で選ばれた李登輝総統に請われて国家安全会議諮詢委員となったが、意見の対立のため99年5月辞任。その後文化大学教授などを勤めながら著述に専念したが、2001年1月9日病死した。享年69歳。
《主著》『中国甘蔗糖業の研究』アジア経済研究所1967、『台湾と台湾人』研文出版1979、『台湾―人間・歴史・心性』岩波書店1988、『台湾という名のヤヌス』三省堂1996ほか
◎王作栄は、1919年湖北省漢川県西王家村に生まれた。43年重慶中央大学卒業。1948年ワシントン州立大学文学修士。49年9月台湾に家族とともに移り住む。53年行政院経済安定委員会工業委員会専門委員、台湾大学法学院兼任副教授。61年世界銀行で半年経済発展問題を研究。63年米国援助運用委員会が行政院国際経済合作発展委員会に改組されたのに伴い、第3処処長。文化大学兼任教授。64年『中国時報』主筆。67年バンコクのエカフェ工業研究組組長。70年李登輝とともに日本経済を視察し、戴國■(火軍)家を訪問。1971年李登輝を国民党に紹介し入党させる。78年『工商時報』総主筆、84年考試委員、90年考選部部長、96年監察院院長、99年引退。
《主著》『台湾経済発展論文選集』中国時報社1981、『王作栄がみる台湾経済』中国時報社198、8『壮志は、未だ酬われず--王作栄自伝』天下遠見出版1999ほか
◎夏珍(編者)は、1962年台北市生まれ。現在、中国時報記者、政治部部長
《主著》『許信良の政治世界』天下文化社『自由自在宋楚瑜』時報出版ほか
[本書の内容]
序 文 王作栄
第1章 対談縁起
第2章 初めて知り合ったころ
第3章 密使が両岸に接触する
第4章 ビッグパワーを手にした李登輝
第5章 新政権を望んで
第6章 知識人の選択
後 記 夏珍
追悼・戴国■(火軍)――解説に代えて 矢吹晋
付 録 人物略伝/李登輝関連年表/中華民国政治機構図
跋 林彩美
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