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 『増補三版 朝鮮の土となった日本人』高崎宗司著

韓国の山(植林)と民藝に身を捧げた希有の日本人! 韓国より半世紀ぶりに故郷に戻った「日記」を読み込み、最近数年にわたる浅川巧をめぐる動きを追って、全面的に書き改め、年譜を付した増補三版。
ISBN4-88323-126-7  定価本体2500円+税 四六版320頁

◆浅川巧をめぐる出来事◆ 年6月、山梨県高根町にて、「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」結成。 年5月『芸術新潮』が「李朝の美を教えた兄弟柔川伯教と巧」を特集。各地から韓国ソウルに眠る浅川巧の墓地(忘憂里)を訪ねるツアーが増加。 年 月、NHK教育テレビの「新日曜美術館」で「発見!李朝の美柔川巧から柳宗悦へ」を特集。◎太鼓の名手・林英哲による「澪の蓮」=浅川巧をテーマとするコンサート全国ツアースタート
(2001〜2002)◎日本美術会講座「あなたは浅川巧を知っていますか」(2002・6 )

●「浅川巧の死」をめぐって―――――
▼かういふ人は、よい人といふばかりでなく、えらい人である。かういふ人の存在は、人間の生活を頼もしくする。かういふ人の喪失が、朝鮮の為に大なる損失であることはいふまでもないが、私は更に大きくこれを人類の損失だといふに躊躇しない。(安倍能成)
▼浅川が死んだ。取り返しのつかない損失である。あんなに朝鮮の事を内から分つてゐた人を私は他に知らない。ほんとうに朝鮮を愛し朝鮮人を愛した。そうしてほんとうに朝鮮人からも愛されたのである。(柳宗悦)

●浅川巧小伝●浅川巧は明治24年(1891)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正三年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。今回、発見きれた日記の中で、植民地支配が「朝鮮」の破壊につながることを告発している。42歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な人物が残した全資料を能う限り集めて「全集」(草風館刊)とした。

●目 次

序   朝鮮人を愛し、朝鮮人に愛された人
    柳宗悦と安倍能成の哀悼
    慟哭した朝鮮人たち

一   巧を生んだ土地と家系
    文人の家系
    よいお爺さん
    男まさりの母親
    兄と姉

二   朝鮮古陶磁の神様・伯教
    伯教、朝鮮に渡る
    白磁との出会い
    多芸多才のひと
    友人たち
    戦後

三   山を緑にするために 
    山野や木や草や水や虫やを友として
    巧、朝鮮へ渡る
    造林の哲学

四   朝鮮の民芸品に魅せられて
    柳宗悦との出会い
    朝鮮民族美術館の設立
    再婚

五   一九二二−二三年の日記から
    日記発掘の経緯
    朝鮮人虐殺への批判
    略奪的林業への批判
    朝鮮の美術工芸のために
    朝鮮および朝鮮人へのまなざし

六   朝鮮民芸品の美論
    愛と智慧の書──『朝鮮の膳』
    正しき名称と用途──『朝鮮陶磁名考』
    民芸の美──『小品集』
    やり残した仕事

七   巧をめぐる人びと
    朝鮮人同僚たち
    市井の朝鮮人たち
    日本人の友人たち
    朝鮮工芸会

八   朝鮮の土となる
    突然の死
    葬式と朝鮮人
    「人間の価値」
    『工芸』浅川巧追悼号

九   蘇る浅川巧
    浅川巧功徳之碑
    魅せられた人びと
    セミナ−と墓域整備
終りに 植民者の影と光
十    浅川巧・1997〜2002
     日韓の架け橋として
     70回忌と70周忌
     浅川伯教・巧兄弟資料館の開館
     第三版に際して
索引を兼ねた年譜
参考文献

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