『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』 金子 毅著

「職工」たちの近代史
「鉄」は国家なり──これは激動の時代を生き抜いた製鉄所の「職工」たちの、もうひとつの物語である。舞台は、「八幡製鉄所」という日本近代の黎明期を支えた企業である。本書は、伝統と近代のはざまで生きた「職工」たちの伝承を土台に、近代人の精神のなりたちを追究した、画期的産業社会論である。

ISBN4-88323-130-5 C3021 定価本体2,800+税 A5判 上製本 カバー装 220頁

●目次より●
はじめに 近代産業化百年の残照─その繁栄をめぐる功罪─
第一章 近代産業社会に生きたものづくりたち 
 第一節 職工と呼ばれた人々 
 第二節 職工たちのつぶやき 
第二章 八幡製鉄所とともに生きた人々 
 第一節 青年は鉄都をめざす 
 第二節 繁栄の八幡、その光と影 
第三章 時代を超えた「職工」像(一)─1901〜1945─ 
 第一節 つくられる職工像(一)─戦前期「高炉の神様」─
 第二節 つくられる職工像(二)─戦中期「産業戦士」─
第四章 時代を超えた「職工」像(二)─戦後〜高度経済成長期─ 
 第一節 高度経済成長と田中熊吉 
 第二節 「高炉の名医」田中熊吉 
 第三節 〈田中熊吉〉の終焉 
第五章 時代を超えた祟り伝承─職工地帯をさまようお小夜狭吾七─ 
 第一節 伝承のあらましとその舞台 
 第二節 物語る職工たち(一)─お小夜狭吾七の祟り─ 
 第三節 物語る職工たち(二)─お小夜狭吾七の悲恋─
おわりに─職工たちの来歴が語りかけるもの─

 【書評より】
 狭吾七の祟り
 埼玉県出身で東京都在住の気鋭の民俗学者、金子毅さん(40)が「八幡製鉄所・職工たちの社会誌」という本を草凰飽から出版した。
 生来のお祭り好き。発端は妻の実家のある北九州市戸畑区の提灯山笠に感動し、そして感じた疑念だった。「200年前にはひなびた寒村に過ぎなかった当地でなぜ、こんな盛大な祭りが続いているのか?」。地元の人に聞くと「製鉄所の職工さん抜きには語れない」という。
 以来、足かけ6年。新日鉄八幡製鉄所や地元の図書館などに通い、多くの製鉄マンらに話を聞いて、職工の目からみた日本の基幹産業の労働のあり方をあぶり出した。
 著書で語られる内容は多岐にわたるが、中でも目を引くのは、最後の1章をさいて論じられる「お小夜狭吾七伝承」。江戸時代の天明年間に地元に流れついた狭吾七が巡礼娘のお小夜と恋仲になるが、それを妬んだ地元の青年に焼き殺され、その霊が末代まで崇るという陰惨な話。
 地元では毎年、狭吾七の霊を鎮める祭りが執り行われていたが、その場所が官営製鉄所の敷地として立ち入りできなくなると、今度は製鉄所の職工たちがその担い手になったという。相次ぐ労災や火災が狭吾七の崇りと恐れられたためだ。
 しかし、戦後、製鉄所が安全神話の確立に血道を上げると、墳末な事故は労災として認められなくなり、それとともに狭吾七伝承は゛邪魔者″扱いされ、祭りは祠もろとも敷地外に移される。そして伝承自体も単なる恋物語に変容していく。
 それでも地元では火災のたびにこう噂する。「あれも狭吾七さんの祟りじゃ」と。民間伝承のたくましい生命力がそこにある。【塩満温】(毎日新聞夕刊 03.3.15)

 伝承から読み取るものは  斎藤貴男評 
 近代の産業は、「職工」と呼ばれる人々によって担われてきた。本書はその黎明期を支えた八幡製鉄所に材を取り、彼らの精神の成り立ちと時代とのかかわりを追究した、ユニークな産業社会論である。
 文化人類字の研究者である著者がこの領域に関心を持ったのは、製鉄業が在来技術とはほとんど異質な近代技術の移植によって導入されていたからだという。なかんずく゛高炉の神様″とたたえられた宿老・田中熊吉翁と、八幡の地に今も伝わる悲恋と崇りの物語「お小夜・狭吾七」伝承の語られ方の変化に、職工たちの生きざまや運命、さらには現代人の目指すべき地平までをも見いだした。
 偉大な職工であった田中翁のイメージは、戦中は国のために滅私奉公する ゛産業戦士〃、戦後は ゛高炉の名医″ へと描き直されていった。彼はその時代ごとにあるべき職工のモデルとされ続け、ついには封印されることになる。
 「お小夜・狭吾七」は、製鉄所が立地した前田地区に明治の初め頃から残されている伝承だ。豊前から流れてきた狭吾七が観音堂にこもっていた巡礼の娘お小夜と恋に落ち、地元の若者たちに妬まれ焼き殺されるのだが、以来、前田には疫病や怪火などが収まらなかったという。
 この伝承もまた、時代とともに変化し、新たな意味づけが施されてきた。後から来た製鉄所(お小夜)を制御できない地元住民、彼らの羨望の対象だった職工たち(狭吾七)という構造は不変で、近年も製鉄所内で事故や火災が発生するたびに慰霊祭の類が催されるというから興味深い。
 伝承の世界を自律的に生きた職工たちは、もうどこにもいない。職人から職工へ、そして現代のサラリーマンヘ。産業が近代化されるにつれて「規律への服従」という要素ばかりが強く要求されてきた。職工たちの来歴をたどりながら、労働する人間にとっての光を、著者は追い求めていく。読み物としても面白く、深く考えさせられる研究である。    (サンデー毎日 03.9.7)
 

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