■苛烈な隔離政策下を生き抜き、今も闘い続ける人たちの記録
■ISBN88323-135-6 C1072 B5変形/オールカラー/204頁/定価 本体2800円+税
2001年5月23日、長い差別と苦闘の日々を経て、ハンセン病の元患者たちが国を相手にした訴訟で勝利した。「国の隔離政策は違憲」と断じた熊本地法裁判所の判決(同年5月11日)を護るための闘いを繰り広げ、この日、政府を控訴断念に追い込んだ。この訴訟では、かつて沈黙を余儀なくされていた人々が、法廷や市民の前で、また報道関係者の前で、自らが受けてきた被害の実態を自分の言葉で訴え、カメラの前に立った。病ゆえに不当な差別や人権侵害にさらされてきた人たちが勇気を出して真実を語り、闘った。本書はそうした元患者の皆さんの協力を得て取材した映像と証言をもとに、まとめたものである。ハンセン病訴訟の勝利は、真の解決のための第一歩であり、まだ多くの解決されなければならない課題を抱えている。元患者たちは、今も闘い続けている。(本書「はじめに」より)
●おのれの無関心を撃つ●鎌田 慧(ルポライター)
国家賠償請求の訴訟で原告が勝訴し、被告・政府に控訴を断念させたのは、けっして善政などによるものではない。隔離政策で囲いこみ、人間の尊厳を奪い取ってきた国家にたいして、絶対的な少数派としてたたかい抜いた、元ハンセン病患者の無数の苦渋と怨念だった。この闘争になんら関わらなかったわたし自身にも、差別し抑圧した側にいた、との痛恨の想いがあり、自分はいったいなにをしていたのか、との問いかけが突き刺さっている。高波淳の執念の一冊には、歴史的な闘争の最後の時期に、かろうじて駆けつけることができたカメラマンの感動と自己変革もまた記録されている。
この本の重さは、社会の絶対的な多数から忌避され、差別されたひとびとの苦悩と悲痛の堆積によるばかりではない。非道の国家犯罪を容認し、見過ごし、加担してきた、われわれ自身の無関心と冷酷さの凝縮にもよる。
◎2001年7月27日、東京地裁103号法廷──
ファインダーの中には見慣れた人たちが着席していた。
傍聴席の後ろの壁際で私は裁判所の許可を得て、開廷直前の法廷をカメラに収めた。この日、東日本訴訟で初めての和解が成立した。法廷は裁判長が和解成立を告げ、数分間で閉廷した。
迷いながらも初めてここを訪れてから、一年余りの時が流れていた。閉廷後、レンズを向け続けてきた人たちを、地下鉄霞ケ関駅で見送った。
法廷で、あるいは療養所の一室で、ハンセン病を患った人たちのつむぎ出すことばに耳を傾け、闘う姿を見た。その力に背中を押されるように取材をしてきた。
国家や社会から人として生きることを拒まれた人たち一人一人の人生はあまりに重く、その被害や絶望感や孤独の何万分の一でも分かったかどうか、私には分からないと思った。
勝訴、控訴断念への運動の大きなうねりをこの目で見た。それは問題解決への第一歩に過ぎず、これでハンセン病問題が終わったわけではない。社会の偏見や差別が簡単になくなるとは思えない。そんな中、元患者たちは残されたかけがいのない時間を、どのように生きていくのだろうか。
私はハンセン病をめぐる問題を、これからも、ささやかでも地道に見続けて、伝えていく努力をしていこうと思った。
取材を通じて得た映像や証言を、自分なりに記録に残していきたいと思った。(本書より)
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