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 『浅川巧 日記と書簡』高崎宗司編

■韓国の山(植林)と民藝に身を捧げた希有の日本人●韓国より半世紀ぶりに故郷・山梨県高根町に戻った「日記」と書簡

ISBN4-88323-136-4 C1095  定価 本体3000円+税 四六判 上製 296頁

◆浅川巧小伝◆浅川巧は明治二四年(一八九一)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正三年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。今回、発見された日記の中で、植民地支配が「朝鮮」の破壊につながることを告発している。四二歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な人物が残した日記と書簡。二〇〇一年、高根町に浅川兄弟資料館開館。

■日記より■大正十二年九月十日 一体日本人は朝鮮人を人間扱ひしない悪い癖がある。朝鮮人に対する理解が乏しすぎる。(中略)[関東大震災について]自分はどうしても信ずることが出来ない。東京に居る朝鮮人の大多数が窮してゐる日本人とその家とが焼けることを望んだとは。そんなに朝鮮人が悪い者だと思ひ込んだ日本人も随分根性がよくない。
 よくよく呪はれた人間だ。自分は彼等の前に朝鮮人の弁護をするために行き度い気が切にする。今度の帝都の惨害の大部分を朝鮮人の放火によると歴史に残すとは忍び難い苦しいことだ。日本人にとつても朝鮮人にとつても恐ろしすぎる。
 事実があるなら仕方もないが、少なくも僕の知る範囲で朝鮮人はそんな馬鹿ばかりでないことだけは明かに云ひ得る。それは時が証明するであらう。

毎日新聞03年9月21日「本と出会う──批評と紹介」
◎この人・この3冊 水尾比呂志・選◎【浅川 巧】
…鮮民芸論集(高崎宗司編 岩波文庫)朝鮮陶磁名考(『浅川巧全集』所収) D鮮の土となった日本人(ともに草風館刊)
 十六世紀末には秀吉軍の侵攻、十九世紀末から二十世紀前半には併合植民地化によって、我国が朝鮮半島に及ぽした計り知れぬ禍害の、せめてもの償いをなしたかと思える数少ない日本人のひとりが浅川巧であった。
 明治二十四年(一八九一)山梨県に生れ、昭和六年(一九三一)朝鮮で没したこの人は、山梨農林学校を出て、大正三年(一九一四)から朝鮮総督府山林課に勤め、四十歳で肺炎のため世を去るまでの十七年間、農林技手として半島の禿山の緑化や砂防の方途を探り、数多くの研究論文を著述するとともに、実地に育苗も試みた。その成果は小さなものではなかったが、彼のより大きな貢献は、朝鮮民衆の生活具についての紹介と研究である。
 焼物に関しては、兄の伯教(のりたか)とともに、朝鮮王朝時代の陶磁器(日本では李朝とか三島手とか呼んだ)の美を見出し、窯址を調べ(「分院窯跡考」など)、器の名称を考証し(「朝鮮陶磁名考」など)、木工品に関しては、この国で独白に発達しみごとな造形美を生み出していた膳や箪笥の調査研究を創始した(「朝鮮の膳」「朝鮮の棚と箪笥類について」)。
 民芸の父柳宗悦に、朝鮮の工芸品を知らしめて、その民芸運動の一起因となったのも、この浅川兄弟だった。柳は二人の協力を得て京城(ソウル)に朝鮮民族美術館を設立、浅川兄弟がその運営に携わる。そして、巧は天性の「道徳的誠実.さ」(柳)を以て、常住坐臥親身の愛を・朝鮮の人と物に抱き続けた。そういう彼の多くの述作が、今『朝鮮民芸論集』という文庫版となってひろく世に知られる時がきたことを、私は心から悦ばしく思う。ただし、名著『朝鮮陶磁名考』はこの文庫版には収められていないので、全集で読んで頂くほかはない。高崎宗司の『朝鮮の土となった日本人』は、これら浅川巧の生涯と仕事の意義深さをあまさず知らせてくれる好著である。
 

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