■朝鮮陶磁研究の最高峰──愛すべき名著の復刻■
ISBN4-88323-143-7 C1072 ¥4800E
体裁:A5判 240ページ 上製 定価本体4,800円+税
◎朝鮮陶磁へのひたむきな愛情◎
「作品に近づいて民族の生活を知り、時代の気分を読むと云う様な目的にあつては、先づ第一に器物本来の正しき名称と用途を知つて置く必要があると思ふ」(本書・序文より)
■本書の内容■
一、緒言
二、器物の名称
1祭礼器 2食器 3文房具 4化粧用器 5室内用具 6道具 7容器 8雑具
9建築用材料
三、陶磁器に関係ある名称
1窯場及製陶用具 2陶磁原料 3陶磁の種類 4陶磁器部分の名称 5陶磁器の数称 6陶磁器に記されたる記号 7陶磁器の造られた地名 8日本陶磁器の名称と朝鮮語
四、結論
五、索引
◆浅川巧小伝◆浅川巧は明治24年(1891)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正3年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。今回、発見きれた日記の中で、植民地支配が「朝鮮」の破壊につながることを告発している。42歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮(文化)と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な生涯を送った。
◎解説―いち研究者として◎ 片山まび(大阪市立東洋陶磁美術館学芸課学芸員)
新世紀をむかえてはや三年、韓国・朝鮮陶磁史研究においては、韓国各地では歴史が塗り替えられるような新発見があいつづいている。
こうしたなかでいまだに読みつがれる本がある。高麗時代においては野守健著『高麗陶磁の研究』、朝鮮時代においてはこの淺川巧著『朝鮮陶磁名考』である。つまり本書は過去の「遺物」ではなく、「古典」なのである。
1910年にはじまる日韓併合の後、1920年代にいたるまで日本人支配を正当化する植民地政策のもと、17世紀以後の朝鮮陶磁は不当に貶められつづけた。こうしたなかで日本人として初めて朝鮮陶磁を評価し、また体系づけたのは淺川伯教・巧兄弟であった。巧が本書のもととなる朝鮮陶磁の名称の調査にいつごろ着手したのかは定かではないが、1920年代の約10年あまりのことであり、その目的が植民地政策のなかで切り捨てられた朝鮮陶磁の体系化、すなわち序文の「作品に近づいて民族の生活を知り、時代の気分を読むと云う様な目的にあつては、先づ第一に器物本来の正しき名称と用途を知つて置く必要」にあったことは間違いない。しかし本書が出版された1931年9月の5ヶ月前、淺川巧は多くの人々に惜しまれつつこの世を去った。
まず陶磁器研究者にとって本書はきわめて重要な意味をもっている。まず分類の順序は「一 祭礼器 二 食器 三 文房具 四 化粧用器 五 室内用具 六 道具 七 容器 八 雑具 九 建築用材料」となっている。なにげないようであるが、朝鮮陶磁を真に理解していなければ不可能な分類である。つまり儒教を礎とした朝鮮時代の陶磁器は、まず祭器を根幹とする。また文房具や化粧用器など、他地域の陶磁器にはない独自の特色があることを巧はここに初めて明らかにしている。こうした分類法は現在の展覧会や研究にも受けつがれている。その細部の記述は同じ用途の陶磁器が関連づけられており、全体を通して読むならば、朝鮮の陶磁器がいかにつくられ、人の手にわたり、どのように使われるのかという生産から消費までの一貫した輪をうかがい知ることができる。今日、美術館のケースのなかに入った遺物や発掘現場をいくら調べようとも、これほどまでに生き生きとした陶磁器の姿を知ることはできまい。
忘れられがちであるが、研究者にとって本書は兄・伯教が1922年、『白樺』誌上に発表した「李朝陶器の価値及び変遷に就て」と文字通り兄弟関係にある。すなわち兄・伯教が時代区分をもって朝鮮時代の陶磁器の縦糸をなしたとすれば、弟・巧はその分類と名称によって横糸をなし、二人でその体系を紡いでいったのである。もし機会があれば研究者以外の方々にも併読をお勧めしたい。
しかしながら本書を万人の「古典」たらしめている最大の理由は、巧の陶磁器への愛情にある。巧は陶磁器を単なる研究対象とは思っていなかった。冒頭に「陶磁器は愛用されるための器物である」とあるほか、「壊れやすいものを愛用している人には思慮、寛容、思ひ遣りなどの徳が養はれてゐる気がする」(76頁)と、巧がいかに陶磁器を愛していたかをうかがうことができる。そのような思いがあったからこそ、その名前を知り、呼びかけてやりたいと思ったのであろう。まったくその当時、誰が化粧道具のならされた面に代々の花嫁の掌に譲られかつ磨かれたことを想像しえたであろうか?
また巧が朝鮮風に暮らした実体験が随所に散りばめられていることが、本書をさらに血の通ったものとなっている。例えば48「陶器の鉢」にはソルロンタンが盛られた器が出てくるが、巧の日記にはソルロンタンがたびたび登場しており、温和な表情をたたえた食事風景までもが浮かんでくるようで微笑ましい。本書はまことに淺川巧そのものであり、モノではなく愛が描かれている点で、今日もなお新しく、また万人を灯す光、すなわち「古典」とされるべきであろう。
ホームに戻る
MAIL to WebMaster
|