書籍のご案内(050110現在)
 『台湾原住民族の現在』
山本春樹/黄智慧/パスヤ・ポイツォヌ/下村作次郎
■台湾原住民族運動の歴史と現状/彼らはいま何を考えているのか■

ISBN4-88323-147-X C1039 Y3800E 
体裁:A5判 上製 260ページ 定価 本体3,800円+税

法律、教育、民族、歴史、文学、文化人類学、映画、ドキュメンタリー、音楽、
文物、コスモロジーなど台湾原住民族を多元的な視野から知りうる一冊!

■本書の内容■
まえがき 山本春樹
第一部──現在から未来へ──
台湾原住民族の存在と将来 孫大川(堤智子訳)
台湾原住民の歩み──2003年を振り返る 黄智慧
憲法にみる原住民族条項 浦忠勝(胎中千鶴訳)
台湾原住民族の教育問題 パスヤ・ポイツォヌ(山本和行訳)
台湾平埔族のアイデンティティ 施正鋒(森田健嗣訳)
文学から読みとる台湾原住民族の今 山本春樹
原住民族女性作家の誕生―リカラッ・アウーのアイデンティティー― 魚住悦子

第二部──歴史と記憶──
サオ族の族名淵源――台湾十番目の原住民族 □相楊(魚住悦子訳)
なぜ牡丹社民は琉球漂流民を殺害したのか?――牡丹社事件序曲の歴史人類学的素描 紙村徹
物語の終焉――映画と教科書の『サヨンの鐘』 下村作次郎
元高砂義勇隊マヤウ・カッテの戦争の記憶 池田士郎 175
タバロンのアミ族と日本の歌――1995・1997・1998年の調査より 小林公江 
方位観をめぐる空間認識について 吉田裕彦 
天理参考館の台湾原住民コレクション――中山正善と張燿焜のライフヒストリーから 杉野友香
台湾原住民文族誌ドキュメンタリーの今昔 胡台麗(石丸雅邦訳)
参考資料 台湾原住民族文化年表 山海文化雑誌社・林宜妙編(下村作次郎編訳)
あとがき 下村作次郎


【まえがき】 山本 春樹
 1990年の第45回国連総会での決議に基づいて1993年が「世界の先住民の国際年」とされ、1994年12月から以降の10年が「国連先住民の国際10年」とされて、その10年がまもなく今年の12月に終わろうとしている。この間、世界の先住民族を取り巻く状況は、大いに変わったところ、ほとんど変わらないままのところ、さまざまであろうが、大きな変化を遂げた地域の一つが台湾であることは間違いない。憲法改正に始まる種々の法律の制定により、台湾原住民族の政治的・法的地位を確立せんとする動きは確実に高まり、そのピークの一つは1996年に行政院原住民委員会が政府機関として成立したことであろう。かくして台湾の原住民族はその政治的・法的基盤を確立しつつある。
 だが、政治的・法的基盤の確立がそのままで彼らが直面している問題のすべてを解決してくれるわけではない。市民生活を送る上でのあらゆる面にわたる不利で劣悪な状況を一つ一つ解決するためには、なお長い道のりが必要であろう。今、彼らはこの長い道のりを歩み出そうとしている。その彼らの前に立ちはだかるものは少なくない。たとえば、高い失業率、低い教育水準、低所得などの現実生活上のさまざまな障害である。これらの問題の向こうにさらに大きな問題が立ちはだかっている。それは民族の誇りの回復であり、アイデンティティの確立である。
 彼らのアイデンティティを形成する要素の一つであるいわゆる伝統文化は古く、かつ豊かである。日本民族学に揺籃の地を提供した台湾島の山地は、いまなお、いわゆる伝統知の宝庫でありつづけている。だが過去から継承したものにアイデンティティの根拠を求めるだけで済まないことは、他の世界の先住民族と同様、台湾の原住民族にとっても厳然とした現実である。現代世界のなかで主張するにふさわしい新しいアイデンティティを生み出さなければならない。このとてつもなく困難な仕事に向かって彼らは今歩み出してる。
 このような台湾原住民族の来し方を尋ね、今を知り、行く末に思いをはせようというのが、本書を企画した意図である。先ず前半では、今を知り未来を考える論考を掲載した。次いで後半で、来し方に連なる事象を扱う論考を掲載した。
 「現在から未来へ」としてまとめた前半最初の孫大川著「台湾原住民族の存在と将来」は、台湾原住民族の復権運動全体の見取り図を提供するものである。法律・政治上の存在、文化としての存在、学術としての存在、社会・経済上の存在という4つの角度から原住民族の現状と運動を記述しており、本書全体への道案内ともなっている。次の黄智慧著「台湾原住民の歩み──2003年を振り返る」は、原住民族に関して2003年におこった重要な出来事をとりあげて紹介して分析し、もって原住民族の現況をヴィヴィッドに描き出すものである。浦忠勝著「憲法にみる原住民族条項」は憲法の原住民条項の条文とその適用の場面の精緻な分析を通して、法的基盤になお残る問題点を指摘して原住民族の現実の姿を浮かび上がらせる力作である。パスヤ・ポイツォヌ著「台湾原住民族の教育問題」は、民族にアイデンティティを与え文化的英知を伝える「民族教育」の必要性とそのあるべき内容について論じ、今日の原住民族運動の中心的課題がどこにあるかを理解する上で貴重な論考となっている。なおパスヤさんは行政院原住民族委員会政務副主任委員の要職にある。施正鋒著「台湾平埔族のアイデンティティ」は、原住民族と漢民族の狭間に位置する平埔族とは何かということを、原住民族運動の文脈の中で再検証しようとする論考である。山本春樹著「文学から読みとる台湾原住民族の今」は、原住民族文学者の手になる文学作品を手がかりにして、原住民族が今ある地点と目指す方向を、彼らの心情の内側から探ろうという試みである。前半最後の魚住悦子著「原住民族女性作家の誕生─リカラッ・アウーのアイデンティティ─」は、漢族外省人を父とし原住民族パイワン族を母とし、さらに原住民族タイヤル族を夫とする女性作家リカラッ・アウーがさまざまな確執を通して自己を発見していく過程をたどった論考で、原住民族のアイデンティティー探求の具体的ケーススタディとでもいうべきものである。
 「歴史と記憶」としてまとめた後半では、最初のA相揚著「サオ族の族名淵源──台湾十番目の原住民族──」は、300名に満たない少数でありながら2001年に行政上正式に原住民族の一グループとして承認されたサオ族の民族呼称の変遷をたどることによって、マルチ・エスニックな台湾社会における彼らの位置を確認しようとするものである。次の紙村徹著「なぜ牡丹社民は、琉球漂流民を殺害したのか?──牡丹社事件序曲の歴史人類学的素描」は、1871年に起こった原住民族による琉球漂流民の虐殺事件の詳細を読み解くことによって、理想の王を希求する原住民族の心をそこに見出そうとするユニークな論考である。下村作次郎著「物語の終焉──映画と教科書の『サヨンの鐘』」は、激流に飲まれて死んだ原住民族の少女サヨンが植民地宗主国日本によって愛国の乙女へと美化されていく物語の生成過程を、映画と教科書をテキストに読み解こうとする試みである。池田士郎著「元高砂義勇隊マヤウ・カッテの戦争の記憶」は植民地支配と戦争という2つの大波に翻弄された原住民族の今を扱うもので、弱さと勁さが綯い交じる彼らの生き様をヴィヴィッドに描き出す。小林公江著「タバロンのアミ族と日本の歌──1995・1997・1998年の調査より」は、子供時代から青年時代を日本支配のもとで過ごした世代の原住民族の人々の歌文化の今を分析し、その奥にある彼らの心のひだを探ろうとする論考である。吉田裕彦著「方位観をめぐる空間認識について」は戦前から今日までの人類学の諸成果を援用しつつ、原住民族の生活空間の特質を明らかにしようとするものである。杉野友香著「天理参考館の台湾原住民コレクション──中山正善と張燿焜のライフヒストリーから」は、台湾原住民族関係の文物が天理大学附属天理参考館に所蔵されていることの意義を、その収集に関わった二人の人物のライフヒストリーに光を当てつつ明らかにしようとするものである。この論考を通して天理参考館への関心がさらに高まることを期待したい。最後の胡台麗著「台湾原住民民族誌ドキュメンタリーの今昔」は、原住民族に関するドキュメント・フィルムの発展史を扱ったもので、時代毎の原住民族への関心のあり様の変遷と、客体から主体への彼らの立場の変化がよくわかるものとなっている。後半の8編は原住民族の過去に連なる側面を扱うものではあるが、それを分析する視点は今に置かれている。本書の題名を『台湾原住民族の現在』とした所以である。
 以上の15編の論考に加えて、最後に参考資料として、「台湾原住民族文化年表」を掲載した。これは山海文化雑誌社の林宜妙さんが編集したものを本書用に簡略にしたものである。
 本書の企画の出発点となったのは、1995年に始まる天理大学台湾先住民族文化研究会の活動である。天理大学の教員で台湾先住民族に関心のあるものが集まって作った研究会で、現地調査を交えながらゆっくりとではあるが活動を続けてきた。2001年にパスヤ・ポイツォヌさんを招いて研究会で話しをしていただいたのをきっかけに、進めてきた研究をまとめようという機運が高まった。この機運はやがて、原住民族運動の現状についての論考を台湾側からもいただいて併せて一冊の本にするという構想につながり、本書に結実したわけである。台湾側から寄せられた論考を通して、本書は、台湾原住民族運動がいかなるものであるかについて貴重な情報を提供できることになったと考えている。なお、本書の姉妹本として中国語版が台湾で発行される予定であることも付言しておきたい。
 本書では、先住民(族)と原住民(族)という用語を併用している。日本では普通、原住民(族)という言葉が長く引きずってきたマイナスイメージを避けるため、先住民(族)の言葉を使用するようになっているが、台湾では逆に積極的な意義づけをもって原住民(族)の語が正式なものとして用いられるようになった。そこで本書では両方を用いることにした。
 日本と台湾の両方にまたがる執筆者を擁する本書の企画は、その研究活動を通して台湾の学界と文学界に豊かな人脈を持つ、編集委員の一人である畏友、下村さんの存在なしには実現しなかった。このことを最後に記してまえがきの筆を擱きたい。            

 

   

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