■なぜわれらは〈ソウル〉へむかうのか――
私が自分の体の底で受けとめる韓国は、いつもすこしもの悲しく、そしてとても陽気だった。そんな光と影の両義的な在りかたが、韓国という国の、そこに生きる人たちの在りかたではないかと、私はひそかに考え続けた。
ISBN4-88323-047-3 C0098 四六判272頁 1988年刊 定価 本体1,800円+税
〔目次〕
憂愁の由来―序にかえて
1 さまよえる時空
「京城」の憂鬱―少年たちはソウル〈都〉をめざ 模造と複製の楼閣―独立記念館をみて 王と仏たちの眠る都―慶州散策 釜山の憂愁―植民都市幻想
2 多島海を渡って
離島めぐり 島のカルメギたち―大黒山島 鴎とイカと教会の島―鬱陵島 島の底へ―済州島紀行
3 神と人とシャーマン
「世界」に立つ樹−日韓神話における〈宇宙樹〉 苦しむ神の由来−韓国シャーマニズムと文学
4 〈陰〉と〈陽〉のめぐる世界
韓国の〈底〉にひそむもの−韓同イデオロギー論 娘よ、あなたはどこへ行くのか−「統一協会」ヒ「イエスの方舟」 “五大洋”事件の深層にあるもの
5 「冊」と「本」のはざまで
“コロンの子”と“皇国臣民世代”■田中明『韓国の「民族」と「反日」』 ソウルから帰って来たナグネ■関川夏央『東京から来たナグネ』
「贖罪」と「反日」と■角田房子『閔妃暗殺』 金縛りの因果・金石範『金縛りの歳月』 断絶と垂層・中上健次編■『韓国現代短編小説
金鶴泳の「韓国」■『金鶴泳作品集成』 影絵の向こう側■李良枝『刻』 「楕円形」の韓国■後藤明正『使者連作』 女流の風景
〔著者略歴〕
1951年生まれ。文芸評論を書くかたわら、1982〜86年まで韓国釜山市の東亜大学校で日本 語、日本文学教師として勤務。韓国文学、韓国文化への関心を深める。現在、法政大学教授
著書に『「酔いどれ船」の青春』講談社『作文のなかの大日本帝国』 岩波書店『生まれたらそこがふるさと』平凡社『戦争はどのように語られてきたか』朝日新聞社『文学から見る「満洲」』吉川弘文館『満洲鉄道まぼろし旅行』ネスコ『満洲崩壊』文芸春秋『「大東亜民俗学」の虚実』講談社『
南洋・樺太の日本文学』筑摩書房『海を渡った日本語』青土社『マザー・アジアの旅人』人文書院『隣人のいる風景』国文社『異郷の昭和文学』岩波書店『アジアという鏡』思潮社『わたしの釜山』風媒社『韓国という鏡』東洋書院など多数。
1988.12.5 北海道新聞
釜山で4年間暮らし、その間、東亜大学日語日文学科の講師を務めたことのある著者が、ここ数年の間に雑誌などに寄せた韓国に関した文章22編を収めている。「慶州散策」「済州島紀行」などの旅のエッセー、「韓国の〈底〉にひそむもの」と題した文化論、書評など多彩な内容だが、著者の視線は、常に韓国の「陰翳と淡い光の世界」に注がれている。「思想としての韓国を読むという試みは、これからも、私の中で、あるいは日本の中で繰りかえし試みられなければならないと思う。それは、ほぼそのまま“日本というイデオロギー”を読みとる作業と重なる」とのべている。
1988.12.22 産経新聞
竹田青嗣 韓国の〈根〉を筆者が鋭く分析
異国の文化を受けとろうとするときわたしたちはどのような想像力を持てばいいか。この本をよく味わえば、そのことについて筆者が携えているひそかな確信が伝わってくる。
忙しい旅人は、発展目覚ましいこの国の都市のメーン・ストリートを望み、由緒ある寺院や楼閣を巡るかもしれない。そこにどのような“文化”の痕跡と進歩がしるしづけられているかを見ようとして。しかし、著者の目は市街地の裏通りや鄙びた田舎道の景観に引きつけられる。そこに、まったく異質でありながら、どこか自分の心の井戸と通じ合う懐かしい水音を聞きとるかのように。
韓国という国は、ある意味で“政治的”な色彩の鮮やかな国だ。この国にはアジアが世界の中で置かれている“政治”的な位置が象徴的に映されているからだ。だからひとは、そこに自分の理解する政治や経済の文脈図を自由に投げ入れることができる。
しかし、たとえば著者がたどるのは、この国の「ムーダン」(シャーマニズム)の世界であり、新興宗教であり風俗である。そこにひとびとの日々の生活感情の陰影が息づいているのだが、そういう場所にこそ政治的に掲げられているナショナリズムやイデオロギーの〈根〉があると直感されている。
韓国のシャーマニズムを論じた「苦しむ神の由来」や、統一協会の「原理」と金芝河を論じた韓国イデオロギー論としての「韓国の〈底〉にひそむもの」などに、その想像力の型が鮮やかに現れている。著者はこれから、韓国文化の〈根〉をなすものとして、男性原理と女性原理、父系社会と母系社会、公的な儒教文化と土俗の民間信仰の文化という二項対立を引き出しているが、それはいま流行りの記号論的な社会分析とは無縁のものだ。
ひとつの社会で、どこに生活する人間の苦しみの根があり、ひとはどのようにそれに耐えているか。そういう“内在的な目”がここにはっきりと打ち留められているのである。
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