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 『コタン―違星北斗遺稿違星北斗著

「アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ」と切なく歌った北斗は、貧乏と病苦の中を壮絶に闘い生き た。いまだアイヌに村する無知と差別を続けるシャモへ捧げる書。  
ISBN4-88323-076-7  四六判1984年刊 定価本体2,000円+税

■目次より■
フゴッペ
エカシ・シロシ
北斗帖
日記
コタン創刊号
落穂帖その一
落穂帖その二
年譜/解題

1984.3.23
朝日ジャーナル
2種の人類
本多勝一

 たとえば違星北斗の遺稿集『コタン』(草風館)というような本を読むと、人類にはこの種の本に「感じる種族」と「感じぬ種族」の2種族があるのではないかという思いをまた新たにしてしまう。
  1929(昭和4)年に27歳で死んだこのアイヌ歌人の随筆と短歌は、生まれながらにして差別され、言葉さえ奪われた民族の心が、それを「感じる種族」に対してはあたかも神の言葉であるかのように伝わって、人類のパーセンテージとしては大多数を占める「アイヌ的存在」への共感にシンクロナイズ(同調)せしめるだろう。 だが、もう一方の「感じぬ種族」に対しては、血へどを吐く思いでつづる歌も「馬の耳に念仏」「猫に小判」の類でしかない。そしてこの2種の人類は、いわゆる「教育」の“程度”とは何の関係もなく、大学教授や文筆業者の中にも「感じぬ種族」はたくさんいる。この2つの種族はもちろん先天的なものではないから、一人の人間が生涯のある時期に変わることもある。「感じる種族」も巧成り名とげると鈍磨する例が案外多いようだ。
  日常的に加えられる民族差別と、それに耐えきれず自暴自棄に陥ってゆく同胞の姿に、深い悲しみ・怒り・嘆きをたたきつけた北斗の歌の数数。そして「アイヌと云ふ言葉の持つ悪い概念を一蹴しようと、『私はアイヌだ!』と逆宣伝的に叫びながら、淋しい元気を出して闘ひ続け」たあとの短歌は―
  アイヌと云ふ新しく よい概念を 内地の人に与へたく思うふ

1984.2.7
北海道新聞
心打たれる同胞への愛

  現代アイヌ文学の古典 わたしが違星北斗遺稿『コタン』(昭和5年5月20日刊)を古書店で見つけたのは25,6年前であるが、これがわたしをいわゆるアイヌ問題に傾斜させたきっかけにもなっている。いまはそれもべらぼうな値段をつけて売りに出ているのをたまに見かけるくらいであり、ふしぎにアイヌ関係文献の出版ブームの外におかれていた。そんなわけで、わたしは草風館版の『コタン』には特別の関心をもった。
 わたしは違星北斗の『コタン』を現代アイヌ文学の古典というにあたいすると考えている。それがどう扱われているか。この小文では意をつくせないが、1,2点をあげてみたい。
  その1、「疑ふべきフゴッペの遺跡」について。違星は、フゴッペ洞窟の文字様の彫刻をアイヌ文字だとした小樽高商(現小樽商大)教授の西田彰三にたいする批判として、これを書いている。西田は当時の小樽新聞(現道新)に昭和2年11,12月の2回の連載によって自説を展開し、そのあとにこの「疑ふべきー」が出ることになる(昭和2年12月19日から昭和3年1月10日まで)。 西田はすかさずそれに反論した。病床の違星は日記にこう書き残している。「西岡氏の論文も今日で(了)だ。氏はよくもあんなに馬鹿々々しいまでに反駁したものだ」(草風館版88ページ)。これだけでもすでに西田の完敗であった。 みぎの西岡は西田の誤植である。当初の誤植が草風館版でもそのままにしてあるのはどういうものか。注記しておくべきであろう。ついでにいえば、「疑ふべきー」についても論争の経過にふれるべきではなかったか。
  その2、草風館版は「その後発見された資料」として違星作品をいくつか加えている。そのひとつ、「小樽新聞編集部並木凡平執筆記事より」とあるうちの(いさゝかの酒のことよりアイヌらが喧嘩してあり萩の夜辻に)、(わずか得し金もて酒を買ってのむ刹那々々に生きるアイヌら)はあきらかに違星の作ではない。この二首はかつて某新聞の歌壇にのった別人のものだ。並木によれば、この二首が違星を「爆発させ」た。並木が違星の西田批判を樽新にのせるためのプロローグとして違星のひととなりを書いたなかに、このことが記されている。ふたりはともに民衆派口語歌人として交流がすでにあったのである。 ちなみに、西田は違星の死後もしつこく違星の非アイヌ文字説をたたいている。
  草風館から同時に出版された知里幸恵遺稿『銀のしずく』は、新潮選書『銀のしずく降る降る』の著者、藤本英夫氏の編集協力による。それに、萩中美枝氏の読後感も出たばかりだ(道新夕刊、1月30日)。わたしがいまさら蛇足することもあるまいと思う。 ただ、日記のなかの次の一節を引用させていただく。「アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに私ひとりぽつりと見あげられたって、それが何になる。多くのウタリと共に見さげられた方が嬉しいことなのだ」(大正11年7月12日)。心うたれることばである。 (山川 力・北海道武蔵女子短大教授 ) 

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