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スイス生まれのクラウン(道化師)ディミトリーが「友情」について初めて作った絵本。不朽の名作演目「ポーター」をもって四度目の来日。この楽しい絵本をサーカス好きの子らに贈る。
ISBN4-88323-089-9 C8776 A4変形 1996年刊 定価本体1,942円+税
ディミトリーのこと
岩崎京子
道化役といえば、サーカスの狂言まわし、場つなぎといったマイナーな役柄ですが、それを舞台芸にまで高めたのは、マルソーであり、ディミトリーさんでしょう。
ところでこの本『ぼくのユモファント』は、ディミトリーさんがはじめて子どもたちに向けて作った絵本です。 象の頭をもつユモファントは、太陽や月や星を友だちにもち、雷のファンファーレで登場する大した役者です。ふしぎな能力をもち、そのうえ愛嬌のある可愛いユモファントは、たぶんみなさんにも気にいられたのではないでしょうか。
ディミトリーさんは、一生懸命やれば、山をも動かせるし、ふしぎな象だって助けてくれるといっています。そういえばディミトリーさんの芸は、ごく身近かな日常性を材料にしながら、太陽、月、星、つまり宇宙が感じさせられます。(本書より)
著者ティミトリーについて
ディミトリー(DIMITRI Jakob Muller)1935年、スイスのイタリア語圏ティシーノの寒村アスコナに建築・彫刻家の父とパッチワークを得意とする母のもとに生まれる。7歳の時、世界的に有名なクニ-・サーカスのクラウン、アンドレイフに出会い、将来クラウンになると感じる。中学を出ると、チューリッヒのシュタイナーの学校へ行き、その後、演劇専門学校に通い始める。ここでさまざまなジャンルの芸を学ぶ一方、陶工、ポーターなどをして、働く。
やがてパリのコンセルバトワール(音楽・美術等の専門学校)でマイム、アクロバットなどを学び、その後マルセル・マルソーに師事。マルソーの番組にも出演。やがて自分の演目を創作するようになる。
クニー・サーカスの巡業に参加、ニューヨークのアップルサーカスに出演。名声を博すとともに、1975年には故郷近くにディミトリー劇場を作り、翌年には演劇学校にも手を染め、1978年には劇団も結成。彼の不朽の名作『ポーター』は30年以上も演じられている。
ディミトリーの来日は、1996年4月で4度目。彼の『ポーター』公演のほかに、彼が主宰するディミトリー劇団の『マスカラーダ』(仮面舞踏会)という,彼自身の作・演出である番組を用意し、さらに群馬県東村の童謡ふるさと館で約一週間、「国際サーカス村・ワークショップ」を行なう。彼は、自分の持っているものを伝えるばかりではなく、日本人の持っている感性からなにかを学びたい、と4度目の来日が決まった時、劇団員に話しかけていた。彼は、日本に自分のクラウンの“生きた資料館”を作りたいという夢を持っている。“生きた資料館”とは、単なる資料収集・展示ではなく、クラウンになるために“学ぶ場所”という意味である。(西田敬一)
母と子
1996.7
母と子の本棚
世界的に有名なスイスのクラウン、つまり、サーカスでのピエロ役をする道化師がはじめて作った絵本。 淡い水彩だが、動きのある大胆な線に引きつけられ、思わずページを開いてしまう。色数も多く、サーカスの世界の楽しさに魅了される。
ぼく、ディミトリーは新しいショーのためにゾウを探しに行く。といっても捕まえて無理矢理連れていくのでなく、一緒に来るゾウを探している。そこに現れたのが半分ゾウで半分人間のユーモアくん。彼を「ユモファント」と命名、旅をしながら芸を身につけ、やがて舞台へ。
アートトップ NO153
1996.6.7
去る4〜5月にかけて4度目の来日をし、おなじみの代表作「ポーター」を始めとする芸で観衆を沸かせたスイスのクラウン、ディミトリー・ヤコブ・ミューラー(1935〜)による初めての絵本である。サーカスのクラウン、その名もディミトリーはある日、新しいショーのための相棒の象を探しに出る。やがて太陽と星と月を友とする人の姿をした象のユモファント(ユーモア+エレファント)と出会い、困難を乗りこえてサーカスに出演するまでの人種をこえた友情の物語。彼を知る資料解説付。
日本児童文学
1996.7
風はどこから吹くか
柴村紀代
「ぼくのユモファント」をなんの先入観もなしに見ても、この絵ののびやかさに魅かれるものがある。ユモファントとは、半分ゾウで半分人間で、命名はユーモアのユモとエレファントのファントから取ったものだという。サーカスでクラウンをしていたぼくは、ある日、新しいショーのためにゾウを探しに出かける。ジャングルで出会ったのは、お日さまや月や星たちと友だちのユモファント。ふたりは嵐の海を超え、旅の途中でふたりのショーを見せながらサーカスに戻ってくる。サーカスでのショーは大成功、ふたりはお客さんの拍手が花びらのように舞う舞台でうれしそうにあいさつした。
作者のディミトリーは、7歳のときクラウンになると決めて、以後シュタイナー学校や演劇学校で学び、やがて世界的に有名なクニー・サーカスに参加。75年にスイスでディミトリー劇場を作り、日本にも4回来日している。彼の絵ののびやかさは、そういうところから来ているのだと納得できる。
なぜ、ユモファントがゾウと人との混血なのか。そこに人間と動物との対等な交流を見ることもできるし、お日さまや月や星さえも友だちのユモファントとは、自然界のすべてをつなぐ存在として何か象徴的な位置にいそうな気もするが、そういう読み解きも実は不要なことなのかもしれない。この絵本にはそういうしかつめらしい解説を超えて、直接読者に働きかけてくる健やかな明るさがある。ヤンママたちが、ぷるぷるたまちゃんを愛すると同時に、このユモファントのよさがわかるようなら、彼女たちの感性も本物なのだがとつい年寄りじみた願望を持ってしまった。
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