■女の側からの韓国現代史。日韓併合から現在まで、歴史の奔流のなか、おおらかに厳しい信仰生活を貫いた四代。
ISBN4-88323-054-6 C0095 四六判240頁1987年刊 定価 本体1500円+税
〔目次〕
種の章−曾祖母・韓永信
城隍堂に祈って モヤシおばさん メンジスとの出会い はしめての礼拝 オーストラリア長老教会の韓国伝道 祭祀と偶像礼拝 教会を建てる ハングル文字の聖書
ハワイヘ 悲嘆と恵み 二つの巣だち
根の章−祖母・梁受恵
三・一独立運動 娘と夫の死 大韓民国臨時政府へ 鬱陵島に三人の牧師
幹の章−母・金韓林
母の涙 おばあさんの遺訓 死への恐怖 日本への留学 教師として 神社参拝 何が正しいことであるか 光 復と混乱と 結婚 理想と現実 朝鮮動乱 父との別れ
枝の章一娘たち・金纓と潤
聖書と共に 孟母 ソウルヘ 四・一九学生革命 奇跡 父の帰国、母の入獄 刑務所での集会 退学 あと半 年の命 神学部へ 日本人牧師と結婚して ピアノの先生
潤の逮捕 拘束者の家族と共に 無言の警告 二つ の国の間で HER・STORYを あけぼのを歩む
朝日新聞評1987.11.23
韓国人口の四分の一はクリスチャンであるという。今世紀のはじめ一人の貧しい女性が釜山で入信していらい、四代にわたる一家の信仰と抵抗の物語。たくましい生活力で商売を成功させた大祖母、三一運動で獄死した祖父ら。ある家族を通してみた韓国近代史。著者は日本人牧師の妻で、金素雲の娘。
毎日新聞評1987.10.12
四代の女の歴史
私は、ひいおばあさんの顔も知らないし、名前は母に聞くまで知らなかった。平凡な人なら、三代が限度で忘れられてしまう。名誉も功績も残さなかった女の場合はなおさら。『チマ・チョゴリのクリスチャン』(金纓著、草風館・1,500円)の著者の曽父母は韓永信という。日本人牧師と結婚、日本に帰化した曽孫のペンによって生きかえった。永信おばあさんによって300人を越す直系子孫が熱心なクリスチャンになったのである。
韓国の人口の4分の1はクリスチャン。「普通の女たちこそが、韓国の教会を支えてきた」という。本書のタテ系は近現代韓国史とキリスト教布教史、ヨコ系に四代の女たちの生が紡ぎ出され、哀しみ、苦しみ、喜びが綾をなす。宗教をもたない私は、民衆女性史として読んで、とても面白かった。
貧困、夫の放蕩、五女の子育て。モヤシ売りをしながらキリスト教に出会った曽祖母。抗日独立運動で夫を失った祖母、母は今も教会を活動の基盤に民主化運動に関わり、“私”は、東京の下町で教会を守る。1910年の韓日合併から今日まで、国の状況と無関係ではいられなかった女たちのくらし。子どもをしっかり胸にかかえて生きてきた四代の女の歴史は、現実が暗く厳しいのに、強く、明るく、そしてやさしい。そこへいくと男たちは、頼りない。空に漂う糸の切れたタコのようだ。「心から喜んですることは、何でも難しいものはないんだよ」永信おばあさんの楽観性を私のものにしたい。(志村章子)
信徒の友評1987.12 (日本キリスト教団出版局)
日本の教会も同じであるが、韓国の教会も女性の果たす役割は大きい。著者は四代目のクリスチャン。著者につながる信仰の系譜を、はじめてキリスト教にふれた曽父母から筆をおこし、女四代の歴史をつづったもの。
この時代はまた、変転きわまりない歴史の中にあった。長い鎖国状態からの開国、日本の植民地化、解放、戦後は独裁政治と民主化闘争。その中で教会は激しくゆれ動き、クリスチャンたちは試みられた。女の側からみた韓国現代史でもある。
統一日報評1987.11.27
日本人牧師と結婚した一人の韓国人女性、クリスチャンの生活史。だが、単なる生活史に終わっていないのは、著者が「日韓併合から現在までの歴史の奔流のなか、おおらかに厳しい信仰生活を貫いた四代にわたる」生の歩みを素直に記録しているからであろう。日帝時代の独立運動、「八・一五解放」、六・二五動乱、四・一九革命など激動の韓国現代史を身近に理解するうえでも役立つ。
信濃毎日新聞 1987.10.05
日韓超えて。はばたく 韓国女性4代の信仰の歴史
前作「チマ・チョゴリの日本人」で、日本人牧師と結婚し、反日感情すら抱いていた日本に渡った自分自身のことを書いた。その本がまとまる前から二年間にわたって「キリスト新聞」に連載した「あけぼのを歩む」が、本書のもとになっている。
キリスト教会のもつ社会的な力は、韓国の場合、日本と比べられないほど強い。日本の植民地統治時代から、また南北分断の後のさまざまな政変を通じ、キリスト教会の民衆の側に立った発言は影響力を発揮してきた。金櫻(キム・ヨン)さんはその中で四代に及ぶ女性の信仰の歴史を書こうと思い立つ。曾祖母に始まるほぼ百年の、無名の女の歴史―。
「韓国の近代史は教会の歴史を抜きにしては語れないのですが、今まで教会史は立派な男性を中心に書かれてきた。HIS STORY、それがHISTORY。私は、普通の女たちがどれほど熱い信仰に燃えて歴史を支えてきたか、HER STORYを知ってほしいと思ったのです」
儒教と巫俗(ふぞく)が人びとの生活に深くしみ込んでいるこの社会に、米国の宣教師がやって来たのは1884年。釜山の市場でモヤシを売つていた曾祖母・韓永信は、その16年後、一人の牧師と出会う。救い主というのは、「東学党の乱」の主謀者全奉準と同じ民衆を救うものかもしれないと思い、家族の反対を押し切って入信。以来300人を超える子孫のほとんどがクリスチャンになった。
「永信についての材料はほとんどないのだけれど、先祖の祭りである祭祀(チェサ)を偶像崇拝として拒否していくのはこの時代、たいへんな闘いだったと思います。祖母の梁受恵の時代になると、日本の植民地統治に抵抗する独立運動の真っただ中に入っていきます」
三・一独立運動の闘士だった祖父の金仁植は検挙され、釜山監獄での拷問が原因で33歳で死ぬ。日本語と日本文化中心の教育が強制され、キリスト教会が徹底的に弾圧された植民地統治の中で、肉親のほとんどが独立運動に加わった。
纓さんが物語風に描き出す一人ひとりの姿は、時代の波に絶えずさらされながら「私」の安逸を投げうって、民族のため、もっと不幸な人びとのため、そして教会のために生きる。「家」という枠はいつも外に開かれている。それは母・金韓林に至ってさらに際立った。日本の女学校に留学したこともある韓林は、教師というエリートの立場ながら献身的に人びとのために働く。
「強制された神社参拝は母にとって深い傷であり、挫折だったと思います。歴史は数少ない、立派な抵抗者を記録に残しますが、90数%は人にいえない傷を負って生きているんです」
その母は、のちに日韓の懸け橋として有名になった詩人・金素雲と結婚した。しかし、気ままな放浪を重ねる詩人はさらに李承晩時代、日本での舌禍事件で故国に入れなくなり、事実上纓さんの家庭は崩壊する。
「母は多くの夢をもちながらも時代の壁にぶつかった。政治や国のことに無関心ではいられない世代なんです。李政権以来、ずっと民主化運動に深くかかわっています」長女の目から見ると、母は悲しくなるほど強い。
四代目の纓さんは日本で牧師の資格を取った。この夏、四回目のメキシコ入りをし、さらにニカラグアをカトリックの神父たちとともに訪ねた。「外国の教授たちや宗教人がボランティアで医療活動したり、コーヒーの豆摘みをしたり。ニカラグアで働くことは人間として最高の喜びといった人がいるけれど本当にそう思う」
来年からはジュネーブの世界教会協議会のスタッフの一人として、第三世界の女性たちを組織し女性の神学を深める仕事をする。日韓を超えてはばたく四代目である。
金纓参考書籍
『チマチョゴリの日本人』
『チマチョゴリの日本人、その後』
澤正彦『ソウルからの手紙』
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