書籍のご案内(991110現在)
 『アイヌ語千歳方言辞典中川裕著

■本邦初の本格的アイヌ語辞書。口承文芸ユカル ・ ウエペケレ などを解読するうえの必備の基本辞典。
【特色】仮名引き見出し・カナとローマ字併用の表記・豊富な用例・詳しい文法的情報・類義語を解説。 

ISBN4-88323-078-3  C3587 A5判1995年刊 定価本体9,515円 +税

                   

          1995年8月号  
           月刊言語  
           宮岡伯人評
   
 ながらくの渇をようやくにして癒してくれる辞典が刊行された。アイヌ語は少数民族言語としては、これを話す人の数の割には研究者はけっして少なくない言語であって、方言比較、地名、民俗分類などの優れた特殊辞典は存在するのに、この言語の習得を志す者に必須の一般的な辞香は皆無だったからである。  
  この辞典は、アイヌ言語学の碩学中川裕さんの手になるだけに安心して裨益にあずかることができる。具体的に紹介する余裕はないが、表記から文法・語義説明にいたるまで利用上の周到な配慮が施されている。とくに少数民族の危機にさらされた言語に遅ればせながら関心が寄せられはじめた今日、本辞典刊行の意義は大きい。中川さんとこれに協力してこられた話し手の方々の長年のご努力に感謝しなければならない。これに継いで、アイヌ語関係者たちの総力と蒐集データを結集したアイヌ語大辞典の、時機を逸しない完戒が俟たれる。

                   1995年6月9日号  
                     週刊金曜日  
                 世界最初の使えるアイヌ語辞典  
                     金子 亨  
 
 この本は、今、澎湃と興っているアイヌ語再生の運動への絶好のプレゼントである。著者の中川裕さんは、そもそもの始めからこのアイヌ語再生の歴史的な動きの中心的な推進力であったし、今もそうである。その彼だからこそこの辞典を産み出し得たのであって、またそうやって作られた辞典であるからこそ、運動を推し進めるための強力な武器になる。だが本格的なアイヌ語再生の運動がそれに関心を持っている人々の目にはっきりと見えるようになったのは、そう昔のことではない。象徴的な出来事は、1987年末の「第一回アイヌ語弁論大全」であったろうか。それまではほとんど誰もがアイヌ語はもうダメだと思っていた。中川さんも僕も例外ではなかった。だから「弁論大会」が終わったとき、僕たちは涙を流して「ひょっとしてアイヌ語は本当に再生できるかもしれないぞ」と興奮して語りあったものである。  
 そのころ僕はアイヌ語の再生を母語の断続的継承の問題として捉えていたのであるが、ある日中川さんからこんな話を開いた。昭和生まれの大多数は、親がアイヌ語を教えようとしなかった世代に属する。しかし、意外に多くのこの世代の人たちがおじいさん、おばあさんたちのアイヌ語を聞き覚えて、それを澱のように心の奥底に溜め込んでいた。そしてその人たちが今になって、アイヌ語を話し始めたというのである。  
 これはもう、民族の言語がそう簡単に殺されるものではないことを示した見事な証拠である。しかし大抵のアイヌの人たちは、日本語を母語として育ったために、民族のことばを外国語として学ぶほかはない。その人たちの民族学校として、いま北海道には12カ所ほどにアイヌ語数室が開かれ、年間で延べ300人もの人たちがアイヌ語を学んでいる。94年にはそこで使うための教科書もできた。社団法人北海道ウタリ協会企画発行の『アコロ イタク―アイヌ語テキスト1―』がそれで、中川さんはじめ数人の和人の専門家も参加して作った、アイヌのためのアイヌ語教料書第1号である。  
  しかしアイヌ文化再生の運勅の進展をよそに、多くの大事なフチ(おばあさん)やエカシ(おじいさん)が他界した。92年には、川上マツ子さんと木村キミさんが相次いで世を去った。お二人とも中川さんの大切な先生であった。そのどん底で中川さんの新しい先生になってくださったのが、白沢ナベさんであった。当時「千歳にすばらしいフチがいるんだよ」と、中川さんはうれしそうに語ってくれたものであった。そのころから彼の千歳通いが始まる。  僕の部屋の隣の中川研究室のスチールケースには、ナベフチや山川キクさん、中本ムツ子さん等の声を録音したテープがだんだんと増えて、今では一段分いっぱいになってしまった。そしてこのテープこそがこの『アイヌ語(千歳方言)辞典』の総ネタであって、中川さんはこのテープを全部起こして、そこから語彙項目3700を取り出した。見出しの項目はアイヌ文字で出して、それにローマ字式の音韻表記、品詞、意味を書き加えた。さらに例文が付け加えられるのであるが、その例文の多くには[N9206021.UP]のような記号がついている。最初のNは、ナベさんの頭文字である。このN印が例文のほとんどを占める。  
  だが、お元気だったナベさんが去年の10月21目に突然、帰らぬ人となった。中川さんはナベさんが元気なうちにこの辞典を完成させて、ナベさんのアイヌ文化継承連動のもう一つの成果として世に出したいとがんばっていたのだが、ついに間に合わなかった。この辞典は中川さんのナベさんへの献花である。  
  この辞典は、世界最初の使えるアイヌ語辞典である。今まで、バチェラー『愛英辞典』(1938/1991)、服部四郎『アイヌ語方言辞典』(1961/1981)、知里真志保『分類アイヌ語辞典 植物編・動物編・人間編』(1953/54、1975)などの辞典が書かれたが、それぞれに問題があったり、使い勝手が違ったりして、アイヌ語を初めっから学ぶためには、どれも役に立たない。今日までアイヌの子供が使えるアイヌ語辞典は、まったく存在しなかったのである。  
  でも、これは千歳方言辞典ではないかという向きがあるかもしれない。しかしナベさんさんのことばである千歳方言は、沙流方言と非常に近い。十勝から東の方言とはかなり違ってはいるというものの、そのような方言差は、まず千歳・沙流のアイヌ語を学んでからゆっくり覚えてもよいではないか。ありがたいことに『アコロ イタク』はそのあたりの手当をきちんとしてくれている。それに『アコロ イタク』と『アイヌ語(千歳方言)辞典』とは相性がよいので、各地のアイヌ語教室のアイヌの子供たちは、やっとまともな教科書と辞書とを手に入れたことになる。咋年は北海道立の「アイヌ民族文化研究センター」も設立されたし、ここでさらに必要なのは「アイヌ新法」などの手段によって、アイヌ文化を発展させるための制度を国民的に整備していくことである。  
  中川さんは、言語学は「実学」であるという。僕もそう思う。「言語学は何のためのものだ」という問いは、別に全共闘運動の専売特許ではない。僕は68〜69年頃、ヨーロッパでこの問いかけに晒され、立ち往生しかけて以来、言語学はどの分野においても絶えずこの問いに晒されなければならないものと思つている。この辞書は、中川さんの言語学の「実学」性の成果でもある。なお、中川裕『アイヌ語をフィールドワークする』(大修館、1995)を併読されることをお奨めする。

参考:草風館版
『アイヌ語沙流方言辞典』

                       ホームに戻る                     
                           

MAIL to WebMaster