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 『アイヌ語地名の研究 2』山田秀三著

■北海道・東北地方のアイヌ語地名の分布・系統を解明した山田地名学の宝庫■
第2巻◎アイヌ語地名の川と峠◎
A5判 縦組 346ページ 1995年刊     
コード ISBN4-88323-083-X  C3325     
定価 本体5825円+税

◆目次より◆
【第一部】北海道の川を尋ねて
▼北海道の川の名
‖石狩・空知・上川・留萌・宗谷・網走・釧路・
根室・十勝・日高・胆振・渡島・檜山・後志‖湖沼

【第二部】北海道の峠を尋ねてルベシベ物語
‖アイヌ語の内陸交通路地名/雨竜川筋のルベシベ/
鵡川の累標/倶知安・余市間の二つの稲穂峠

 

■1983.8.29
北海道新聞
山田学の方法と達成
完結に寄せて
 村崎恭子
 
 
最近地名ブームと言われる中で、このほど山田秀三著作集『アイヌ語地名の研究』(全四巻、草風館・各6,000円)が完結した。そして山田先生は三年前に設立された川崎市の地名研究所(谷川健一所長)から「第2回地名研究賞」を受賞された。 全くのディレッタントの立場から学問をなさっている、真の意味で優れた学者の山田先生の業績の紹介をかねて、受賞の際、林英夫選考委員長が読み上げた「選考理由」の一部をここに紹介する。 「(前略)氏の研究は、アイヌ語地名のもつ一つ一つの意味を現地で調査して類型を作り、構造と実体にまで迫って厳正に体系化を試みたものである。これらアイヌ語地名の体系的研究のみならず、その分布や系統から、東北地方の地名との関連性を検討し、アイヌ語地名と推測される地名が東北地方に多くみられることを指摘している。この場合、ただ指摘にとどまらず、その残存分布の意味を歴史的文献の上からも実証して地名のもつ意味を多様に捉えている。さらに、アイヌ語の中に残っている日本の古語の存在を指摘したりするなど、アイヌ語地名分布の系統的な研究にとどまらず、広くアイヌ語地名研究を通して、そこにほのみえる日本古代文化の歴史的根源にまで、著書の透徹した眼が鋭く及んでいる(後略)」 その研究の学問的価値はここで十分に言い尽くされていると思うが、弟子入りして足かけ5年、余暇に地名研究の手ほどきを受けている私から見た先生の魅力は、何といっても地名を一つ一つ解明していく時の態度、つまり研究の方法である。 北海道の東北、オホーツク沿岸に常呂(ところ)という人口6000人足らずの小さな町がある。戦後カラフトから引き上げて来たカラフトアイヌの人々が、どういうわけかここに多く住みついていたので、カラフトアイヌ語を勉強していた私には、学生時代から、当時ここに住んでいたアイヌのおばあさん(故藤山ハルさん)にアイヌ語を習いに何度も訪れておなじみの土地である。今度百年を記念して町史が編さんされることになり、その一環として常呂のアイヌ古地名の調査を山田先生と私が依頼され、今年の5月末に2回目の実地調査のために常呂に先生と一緒にやって来た時のことである。 アイヌコタンの常に漏れず、常呂も常呂川の河口に栄えてコタンである。その常呂川は河口から50メートル程上った所から大きく蛇行していて、幕末の探検家、松浦武四郎の記録によると、その蛇行の始まりの所に渡し場、その上にソー(滝)があると書いてある。問題はこのソーという地名である。ソーは普通(滝)と訳されている。もし記録通りの場所に滝があれば事は簡単だが、その辺には滝などありはしない。しかし先生は川底の方をじっと見ながら「あの少し露出している岩盤がソーじゃないかしら」とおっしゃる。私はその時、(滝)と(川底の岩盤)とがどうしてソーという同じ語形で結びつくのか、どうしても分からなかった。 でも、翌朝そこに再び行ってみたら、ちょうど引き潮で水が少なくなって一帯に川底の岩盤がところどころ露出し、岩間をサラサラ音を立てて水が流れ、白波をつくっているではないか。この光景を見てはじめて、私はソーの真の意味を体得できたと思った。つまり、ソーというのは瀑布である必要はなく、底が岩で水が音と白波を立てて流れる急流でもいいのである。先生はこの様を見て「これが正にソーですよ」と満足げにおっしゃった。これでようやくソーという地名が一つ確認できたわけである。 古い地図や記録で一つのアイヌ語地名を得る。そのアイヌ語の意味を推測する。これだけで多くの人は地名解を出してしまう。これではアイヌ語のごろ合せのようなもので、アイヌ語の音韻や音節構造は日本語に似ているから、アイヌ語を少しかじった人なら安易にできてしまう。山田地名学では、これはまだ序の口で、可能な限りの古資料で見当をつけておいて、現地に何度も赴いて地形を見、土地の古老の話を聞き、他の類型と照らし合わせて最後に結論を出すのである。 常呂の、滝のないソーの場合も、先生は層雲峡(そううんきょう)の元になったソー・ウン・ペッ(滝の川)にも、雨竜(うりゅう)と増毛(ましけ)の間にある暑寒別岳(しょかんべつたけ)の元になったソー・カ・アン・ペッ(滝の上にある川)にも滝がなくて、白波が立つ急流にすぎないことの例を考え合わせた上で、現地に四回も赴いてやっと一地名を実証されたのである。一つの地名の結論を出すのに10年かかるのはざらだそうだ。 一つ一つ、この様な方法でえ40余年をかけて明らかにされたアイヌ地名が、著作集全4巻に数千もあるのだから恐れ入る。ちなみに、最終巻に付いているアイヌ語地名索引の項目数は7000にのぼる(この総索引は出版社がつけた)。これが山田地名学の後輩にとってどんなに役立つか分からない。


参考:草風館刊/山田秀三著
「アイヌ語地名の研究」1
「アイヌ語地名の研究」3
「アイヌ語地名の研究」4
「東北・アイヌ語地名の研究」

「アイヌ語地名の輪郭」

 

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