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 『チャランケ-結城庄司遺稿結城庄司著

■「アイヌ新法」制定の今── 反差別を闘った過激な人生
アイヌ民族解放運動の先駆者の軌跡──苫小牧差別裁判糾弾闘争・登別アイヌ墓地抗議活動・北大経済学部差別講義に対する越冬闘争など、アイヌ民族に対する偏見・差別と闘い、民族尊厳の復権のために全身で運動を続け、志半ばで倒れた無念の記録。

定価 本体2,000円+税  ISBN4-88323-096-1  C0095  1997年7月刊

 

■目 次■
一 アイヌ宣言                        
  はじめに   
  序章 自然主義者、アイヌの道 差別とアイヌ研究   主体性への変革 
二 アイヌ民族と歴史                        
  一章 旧土人と皇民化   
  二章 原住民と天皇   
  三章 アイヌモシリ「北方領土論」   
  四章 アイヌ史探訪獣領た浸嵎櫃鮹羶瓦法   
     未発表メモ・弁開凧次郎のこと    
     イカシパ弁開凧次郎のこと―アイヌの八甲田行軍遭難救助隊長 
三 アイヌ民族と学問                       
  五章 原住民説と御用学   
  六章 植民地大学「北大」       
四 チャランケ                          
  七章 人種差別と「アイヌ研究」  
  八章 チャランケ    
   結城庄司年譜 

■「アイヌ・チャランケ」とはアイヌ語であり、日本語に解釈すると「談判・論争」の意である。アイヌ社会では「裁判」の役割を果す目的で「チャランケ」が行われていた。ある時は、三日三晩も断食をして、精神力と雄弁をもって行われたのであった。その遺跡「チャランケ・チャシ・コツ」(砦・跡)が、釧路市春採湖畔沿いに原形を残している。  
  明治時代になって、和人の移民人口が急速に増えつづけてからの、アイヌモシリ(国)は、北海道と呼ばれるようになると「チャランケ」の精神は、和人によって一方的に踏みにじられたのである。
 チャランケは「難癖」とか「いんねん」をつける、というふうに暴力的な次元の低い意味に使われ、言葉のもつ文化的な魂は、すりかえられてしまった。
 アイヌは文字をもたないと言われるが、言葉は民族文化を表現する支柱であった。口伝承としての「ユーカラ」は、民族の教典でもあり文化としての言葉の魂の証でもある。そのような言語が日本民族の侵略支配と共に、現在もなお抑圧されつづけていることは残念である。しかし、同時にアイヌ語は滅びることをも拒みつづけている。それは現在のアイヌ民族の姿でもある。だが、「アイヌ研究」の御用学者は、アイヌが日本人に完全に同化する日を信じて疑わなかった。また、そのように宣告してから久しい。
 アイヌは日本国民であっても日本人ではない。そのことを主張することは「アイヌ民族の復権」を高らかに宣言することであろう。アイヌ民族の思想と文化のすべては、アイヌモシリの大自然がその背景であった。日本民族が、アイヌモシリの自然を破壊した歴史は、他の動植物と共に生存していた、アイヌの思想と文化をも衰亡に追いやったことである。
 明治三十二年(一八九九)にアイヌを指して「旧土人といえども天皇の赤子」として、同年三月二日「旧土人保護法」は制定された。北海道で日本人の歩んだ歴史は、わずかに一世紀より有していない。 それにくらべて、アイヌの足跡は有史以来二〇世紀におよんでいる、それが「アイヌモシリ」の歴史である。
 一九六八年、「北海道百年祭」が、天皇一族を呼び国家行事として行われたことがあった。その時も、アイヌ民族の文化と歴史はすべて無視された形で祭典はやられた。まさしく、「侵略百年祭」である。
 しかし、アイヌ民族は、一六六九年の「シャクシャイン戦争」を記念して「祖先三百年祭」ともいうべき祭典を継承している。また、一七八九年の「クナシリ・メナシリ戦争」を記念して、民族の誇りある祭典を維持している。闇に葬り去られてきた、アイヌ民族の歴史に光をあてる作業は困難であるが、アイヌの誰かが筆を執らなければならないのである。(本書より)

  参考/草風館刊『銀のしずく―知里幸恵遺稿』
        『コタン―違星北斗遺稿』
          『沙流川―鳩沢佐美夫遺稿』

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