草の風(2)(991110現在)

 「時の記憶―浅川巧が行く」木村勝明展から

浅川巧2■Feb.20〜27 1999 GALLERY IN THE BLUE  於:宇都宮
                   
コンテンポラリーアートというジャンルで活躍なさっている木村勝明氏が宇都宮で下記のような趣旨で個展を開いた。昔の朝鮮人がどんな服装をしていたのか、在日朝鮮人のハラボジたちが実際に『『着て見せて木村氏はおおいに参考になった。この一風変わった展覧会は朴の葉を素材として浅川像も立体的に形作られ、写真のコラージュも朴の葉を組み合わせて素朴な味をだしていた。朴の作品はこの会が終われば空気となってしまうが、一部の作品は高根町が譲ってもらったのでいずれ資料館におさめられるだろう。

  浅川巧という戦前に朝鮮に生きた人物が、歴史の記憶の中から輝いてメッセージを発してきている。それは集団としての記憶を呼び覚ます力を持っている。彼の存在を知ってから、私はそこから逃れる事ができない。かの人物を形にせずして次の問題に進めないのである。浅川巧が朝鮮の服で、骨董屋で買った白磁の壺が入った袋を担ぎ、歩く姿が忽然と現れて、又闇の中に消えていくのである。「時の記憶ー浅川巧が行くー」というサブタイトルはこうして必然的に生まれ、形象化されるのを待っている訳である。
                    

浅川巧(1981-1931)という人物を知っていますか。日本統治下の朝鮮に生き、そこの土となった日本人です。最近、本、雑誌、テレビなどで紹介され、知られ始めています。出身地である山梨県高根町では巧とその兄である伯教とを偲び、偲ぶ会ができ浅川兄弟の資料館も計画されています。 巧の亡くなった1931年に、民藝運動の柳宗悦と哲学者の安倍能成が巧について文章を残していますが、いずれも感動的な名文です。これを書かしめた浅川巧とは、一体どういった人物だったのか?「朝鮮の土となった日本人ー浅川巧の生涯」高崎宗司著(草風館)は基礎資料として大きな存在です。植民地の苛烈な政策は、朝鮮の独立運動を弾圧し、朝鮮の日本化を進めます。その時、巧は朝鮮の山の緑化に努力し(林業技師としての業績もあげ)朝鮮の工芸の美を発見し、人に知らしめようと努力し、自ら朝鮮の伝統的な服を着て朝鮮人を理解し、親しみ、貧しき学生を援助し、精一杯人間であろうとし、40歳の若さで、ついには朝鮮の土になった人です、隣国との諸問題を個人として乗り超えようとする時に、浅川巧は大きな励ましと、癒しを与えてくれます。もちろん、民族の和解と共生は個人を超えた問題です。しかしその出発点は何処かと言えば、浅川巧のような気がします。(木村勝明)

 

参考:草風館刊
高崎宗司編『浅川巧全集』
高崎宗司著『朝鮮の土となった日本人―浅川巧の生涯』

 


 

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