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 『浅川巧全集』高崎宗司編

■民藝運動の源流に立つ/先駆者の全貌■ 
A5判 全一巻  808ページ  朝鮮麻布装 菊地信義装丁   
コード ISBN4-88323-092-9  C3323    
定価 本体24,800円+税   1996年刊 
本書は品切れ・絶版です。
『浅川巧 日記と書簡』(発売中)『浅川巧 朝鮮陶磁名考』(草風館/近刊)


■内容■【日記】大正11年(1922)1月〜12月/大正12年 (1923)7月・9月
【書簡】柳宗悦宛6通・浅川政歳宛四通・浅川咲ほか宛17通
【論考】林業関係・工芸関係
【随想】金海・水落山・北漢山一周・朝鮮の漬物・副業品共進会朝鮮少女・子犬
◆名著復刻【朝鮮の膳】【朝鮮陶磁名考】 解説/高崎宗司/浅川巧年譜

◆浅川巧小伝◆浅川巧は明治24年(1891)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正3年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。安倍能成をして、巧の死を「朝鮮の大なる損失であることは勿論であるが、私は更に大きくこれを人類の損失だといふに躊躇しない」と言わしめた、42歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮(文化)と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な人物が残した全資料を能う限り集めて一書とした。


朝日新聞1996年6月28日(朝刊)紹介記事
植民地下の朝鮮で工芸や植林を研究、浅川巧の日記里帰り(山梨・高根町)、

民芸運動の原点に光、記念館、出版の計画
 
  大正初め、植民地支配下の朝鮮へ波り、工芸や陶芸、植林などの研究で大きな功績を残した浅川巧(の直筆の日記がソウルで見つかり、このほど出身地の山梨県高根町に約70年ぶりに里婦りした。浅川巧は民芸運動の創始者・柳宗悦に大きな影響を与えた人物。日記には、当時の厳しい情勢下で朝絆人と苦楽をともにしながら、「朝鮮の美」の発見に情熱を傾けた姿が描かれており、「民芸運動の原点に光を当てる貴重な発見だ」と注目きれている。  
  巧が「朝鮮陶磁器の神様」といわれた実兄の伯教のあとを追って朝鮮へ渡ったのは1914年(大正3年)。朝鮮総督府に就職し、養苗技術の商発などを手がけた。  
  李朝の白磁など朝鮮陶磁器の美しさにも魅せられ、その研究成果は『朝鮮の膳』(29年)や『朝鮮陶磁名考』(31年)として結実した。  将来を期待されながら31年4月、40歳の若さで病没。柳宗悦は「彼がゐなかったら朝鮮に対する私の仕事は其半をも成し得なかった」 (『工芸』31年5月号)と悲しんだ。   また、哲学者の安倍能成は、「京城日報」紙上に「人類の損失だ」とする追悼文をのせた。 今回、発見きれた日記は22年の1年分と23年の7月、9月分で、400字詰め原稿用紙で462枚。とくに関東大震災で朝鮮人が虐殺されたという報に接した時の記述は40枚にのぼっている。
「一体日本人は朝鮮人を人開扱ひしない悪い癖がある。朝鮮人に対する理解が乏しすぎる。よくよ<呪はれた人間だ」(23年9月10日付)  また、「似つきもしない崇敬を強制する様な神社など巨額の金を費して建てたりする役人等の腹がわからない」(22年6月4日付)とも書き、植民地支配が「朝鮮」の破壊につながることを告発している。  
  日記は敗戦直後、ソウル在住の金成鎮氏(82歳)が骨とう屋で知り合った兄の伯教(64年没)から預かった。  
  十数年前、日記の存在を人づてに聞いた津田塾大の高崎宗司教授(国際関係)が今春、金さんの消息を確認した。  金さんは「朝鮮戦争で釜山へ避難する時も、家財道具は打ち捨てても日記だけは手離さなかった。あの暗い時代に韓国人を心から愛した巧先生は泥地に咲いた一輪のビヤクレンだった」と語っている。  
  高根町では今月9日、「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」(会長・大柴恒雄町長)を結成。二人の業績をたたえる記念館の建設などを計画している。      
  一方、韓国でも今春、巧の二著が韓国語に翻訳、出版されるなど、浅川兄弟を再評価する動きがある。  巧の墓はソウル郊外の忘憂里にある。巧がかつて働いた林業試験場の韓国人によって建てられた顕彰碑には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここに韓国の土となる」とハングルで刻んである。  
  日記の全文は『浅川巧全集』として今夏、草風館(東京)から出版される。  
  巧の生涯を描いた『朝鮮の土となった日本人』(草風館)の著者、高崎教授の話 日本人の多くが朝鮮人を蔑視する風潮が強かった時代に、巧はそれとは無縁のところで朝鮮の民族と文化を理解しようとした。日韓関係がぎくしゃくしている今こそ、巧の生き方を学ぶ意味があると思う。[増子義久]

毎日新聞1997年1月7日付(夕刊)紹介
民藝運動の柳宗悦に大きな影響、「浅川巧」の全容明らかに
草風館から「全集」刊行

参考:草風館版
『朝鮮の土となった日本人』高崎宗司著
「時の記憶-浅川巧が行く」木村勝明展から

 

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