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 『東北・アイヌ語地名の研究』山田秀三著

■東北地方に分布するアイヌ語地名の南限は仙台平野・秋田・山形県境にかけた線。この南限線は古代の蝦夷と和人の境界線だった。本書は東北北部とさらに南下して調査した著者最後のアイヌ地名研究■ 
A5判 縦組 216ページ 1993年刊     
コード ISBN4-88323-063-5  C3325     
定価 本体6000円+税


◆目次より◆
 前  文 
第一編 アイヌ語地名遊記  
       初山別の楽しかった調査紀行         
 石狩川筋のカムイコタソ   
トマム遊記−トマム、狩勝峠、然別の地名 
手稲諸川のアイヌ語川名−特に札幌の友人方のために   
石狩当別の静かな川筋 
山城屋の蝦夷地古図の話――古い、珍しい民間の北毎道全図
登別の知里家のこと――語る金成まつさんの姿の写生

第二編 東北地方北半のアイヌ語地名
柳(シュシュ)の地名
サンナイ地名の謎ー――東北地名で北毎道のアイヌ語地名を読んだ話  
姓となったアイヌ語地名
阿仁の内(ナイ)地図
『遠野物語』のアイヌ語地名
北潅道のモイワと青森、秋田のモヤ
大野東人将軍遠征路をたどって  
平取(日高)と平尾鳥(秋田)

第三編 東北地方南部、関東地方北辺、新潟県を訪ねて  
タブコプ(たんこぶ山)物語――関東北辺まで続いてあるか?
インカラ(眺める)地名物語――新潟県にまであったらしい?  
サッ地名物語――関東北辺まで続いてあるか?
エソルム(岬)の話――江流末(十三地方)と出雲岬(新潟県)の疑義
『常陸風土記』の異族と地名
著者略歴と業績

 

■1993.10.4■
週刊読書人
重い示唆を含む 遺書として、突き付けられた不動の事実
菊池徹夫

 
  地名の研究、それも著者自ら「素人の道楽」などと書いているから、文字どおり趣味の範囲のものと思われるかもしれない。確かに第1編「アイヌ語地名遊記」などを読むと、枠な著者の地名探訪にあたかも同行しているような楽しさに満ちている。人柄である。 しかしこの本は、私たちが日本の歴史や文化を考え、日本という国あるいは日本人について論ずるうえで決定的に重い示唆を含んでもいる。なぜなら、ここで私たちは、慎重にアイヌ語地名と取り組んできた一碩学の生涯の結論として、少なくともこの本州島の東北部には北海道とほとんど同じ密度でアイヌ語地名が分布するという不動の事実が、まさに遺書として突き付けられるのだから。 この本は、第1編「アイヌ語地名遊記」、第2編「東北地方北半のアイヌ語地名」、第3編「東北地方南部、関東地方北辺、新潟県を訪ねて」から成る。そしてこれらの前に、死のわずか2カ月ほど前に書かれた「前文」が、いわばこの本全体の要旨を兼ねて置かれている。著書はここで、アイヌ語らしい地名は東北地方南部、関東地方北辺にも散見するが、やはり東は仙台平野から、西は秋田・山形県境辺へ結ぶ線が「アイヌ語地名の濃い地帯の南限線」であり、それは「ひどい地名断層」をなすと指摘する。地名のフォッサマグナと言ってよいであろう。私たちは、じつは考古学の分野でも、明らかにサハリン・北海道系の続縄文や擦文土器の文化が、同じように津軽海峡を越えてこの地域に分布し、弥生土器・土師器などと伴出するという事実を明らかにしてきた。 ところで、ここでも著者はいつものように謙虚で、手堅い地名考証の枠をなかなか出ようとはしないが、それでも本当は東日本古代史になみなみならぬ関心を持っていたことが随所に示される。むしろ著者の究極の目的は、この本の帯の表現を借りるなら「土地に刻まれた歴史記憶」を掘り起こし「古代蝦夷(アイヌ語族)の足跡」を辿ることにあった。 それにしても、これら本州のアイヌ語らしい地名は、いつごろ、誰によって、どのような歴史的背景のなかで付けられたのか。そして、この現象はいったい何を物語るのか。 だが、それにもまして私にとって不思議なのは、「白河の関以北」のアイヌ語地名分布の事実は、じつは金田一京助以来知られていたことなのに、皇国史観の戦前はともかく、どうして戦後の日本史学ないし日本論のなかでもう少しきちんと評価し解釈しようとされなかったのか、という一事なのである。 もし、このアイヌ語地名の分布が、即アイヌ民族の居住を示すものであるなら、当然、日本史上の蝦夷論とも関連して、日本がかなり古くから多民族国家であったということになるし、そうでないにしても、日本列島に形成された国家というのは、表向き日本人の単一国家でありながら、そのじつ、少なくとも言語など文化伝統のうえで異なる別個の集団・社会から成り立っていたということになりかねないであろう。 いずれにせよ、戦前には軍需省化学局長など高級官僚として東条首相とも親しく、戦後には事業家として成功した著者の、「道楽」として明らかにした事実が現代史のうえに持つ真の意味を、私たちはまだ本当には理解していないのかもしれない。 最後になったが、『山田秀三著作集』に続いて、この本を時あたかも国際先住民年に刊行し山田地名学の全貌を後世にのこされた草風館主、内川千裕氏の心意気にエールを送る。

1993.10.4 岩手日報
 東北・アイヌ語地名の研究 遺稿と研究メモまとめる 岩手に関する記述も多く「和人の姓となったアイヌ語地名」では下斗米秀之進(相馬大作)、金田一京助、米内光政、田子一民、新渡戸稲造に触れている。金田一については「私の恩師。先生は盛岡育ちであるが、金田一は岩手県二戸郡の地名。そこから金田一という姓が出たのであろう。(略)キム・タ・ウシ・イ(山・の方・にある・沢)か。」と解説。 「『遠野物語』のアイヌ語地名」では、谷内、横内、来内、佐比内など多くの地名について考察している。佐比内はサツ・ピ・ナイ(乾く・石ころ・川)ではないかとしている。現地に立ち実証的な研究だったことが分かる。

1993.9.12 河北新報
 東北・アイヌ語地名の研究 地名は、その土地で生活した人々の言語の痕跡であり、土地の歴史を刻み込んだ文化遺産でもある。古くからの地名変更に多くの抵抗が起きるのも、こうした認識が浸透していることの証明と言えるであろう。 本書は、40年以上にわたってアイヌ語地名の研究を続けてきた著者が、ここ10年の成果をまとめた。田子、山内、三内、長内、米内、比立内など、東北に残るアイヌ語地名と思われる例について、詳しい検証がなされている。 「仙台から秋田・山形県境付近にかけての線から北方に、一段と濃く分布するアイヌ語地名こそ、蝦夷(えみし)が残した足跡であり、北東北の蝦夷はアイヌ語を常用していた」。これが著者の結論だ。 著者は仙台鉱山監督局長、軍需省化学局長などを歴任した後、北海道曹達社長、会長を務めた。昨年7月、93歳で死去しており、本書が遺稿集となった。

1993.8.23 秋田さきがけ
 県内の地名も考察 著者は、在野の研究者として50年以上にわたって北海道や東北地方のアイヌ語地名の研究を続け、ことし7月に93歳で亡くなった。本書はその遺稿集。 地名は、その土地にかつて生活した人々の文化遺産であり、その土地の歴史を刻み込んでいる。古代の東北地方で大和朝廷に対抗した蝦夷(えみし)の記録は、記紀をはじめ続日本紀などの史書に登場する。その蝦夷がどのような人々だったのかは、明治以来、論争が続いているが決着はついていない。著者は「蝦夷が生活していた土地に、大和言葉ではない地名があり、それこそが蝦夷語の傷痕といえるのではないか」と述べ、「仙台から秋田・山形県境にかける線から北方にアイヌ語地名が濃く分布する。蝦夷はアイヌ語族だった」と結論づける。 本県の阿仁は、アイヌ型の内(ナイ)地名が特に濃く残っている土地だという。ナイはベツ(ペッ)とともに北海道にはどこにでもある「川・沢」の意味のアイヌ語地名だが、阿仁川筋ではどの沢をとってもナイ地名で埋まっている。 米内沢はイ・オ・ナイ(蛇・多い・川)、笑内はオ・カシ・ナイ(川口に・仮小屋ある・川)、浦志内はウラシ・ナイ(笹・川)であるという。また、雄勝、西馬音内、田子内など県内各地の地名も考察する。徹底した現地調査、研究を重ねた、貴重な一書。

1983.2.16
朝日新聞 秋田版・岩手版
 東京ホットライン 古代史研究に貴重な出版 ○ ……「東北地方の日本語らしくない地名を総合してみると、そのうち『内(ない)』地名が圧倒的に多い。……個々の地名が似ているだけでなく、地名全体の形態が酷似している。東北地方と北海道に同系語族がいて、これらの地名を残したと考えるほかに解釈がつかない」―山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究」第3巻がこのほど発刊された。東京・神田の草風館が刊行中の全4巻の第2回配本分で、青森や岩手の地名研究がまとめられている。 著者の山田秀三氏(83)は、通産省の役人だったが赴任先の仙台で地名学にとりつかれた。以来40年、東北、北海道をこまめに歩きながら地名の研究を通して北方文化をさぐっている。下方の尻労(しつかり)と北海道の静狩(しずかり)が共通の地形で、山の手前という位置につけられた地名であると検証している。東北の古代史研究に貴重な出版である。


参考:草風館刊/山田秀三著
アイヌ語地名の研究」1
「アイヌ語地名の研究」2
アイヌ語地名の研究」3
「アイヌ語地名の研究」4
「アイヌ語地名
の輪郭」

 

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