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 『聞書水俣民衆史 第ヾ 明治の村岡本達明編著

■ 語りつがれた水俣の歴史/ 肌にしみこんだ時代の記憶がよみがえる■
●すいせん者●
色川大吉/太田薫/緒方登/鎌田慧/姜在彦
田上義春/立松和平/富樫貞夫/原田正純/星野芳郎
1990年毎日出版文化賞受賞◆  
A5判 縦組 296ページ 1990年刊     
コード ISBN4-88323-030-9  C1022     
定価 本体3000円+税

      
◆第一巻/目次より◆
一 新しい骨組   
   伝承の明治維新と西郷戦争    
   お蔵米●米撥ね、俵撥ね、縄撥ね/米は一粒も残らん    
   明治の意味●侍だらけの藩境の村/侍の世が明らかに治まる/傘とハン   コ       
    西郷戦争●薩軍の使役/官軍の使役/激戦地の村/ドプロクと鉄砲/タ   チワケの豆   
   銭の序破急――金貸しが地主に    
    新しいお上と税金●巡査と裁判所/田圃もろうてくれろ    
    博打が流行る●働く気持がなくなって    
    金貸しが地主に●明治の一銭の重み/金貸し伊蔵/地主の形成    
    小作人●銀主三分の二、小作人三分の一/年の暮    
   伊蔵の蔵入れ●細川さん時代さながら/えぴ飯と蛇    
    平野屋の銭●金の虫干し/旦那の女道楽/平野屋の日傭取り/恐ろしい   旦那さん    
    もう一人の大地主――細川さん●ごないか畑/増植/ハゼの木には指一本ふれられん/根はわが畑に、杖は   あんたの畑に
二 どん百姓   
   暮らし    
    コクリュウの鳴く村●川の股/町うちとウラ/低い生産性と人口増加    
    明治の肥料●刈敷/人肥/大豆滓、イワシ肥、骨粉/金肥    
    食いもん●草の葉と焼畑/カライモ/麦飯と三くずし飯/米ン飯/イワシ/野菜と砂糖    
    尻と風呂●尻の穴/棒立て風呂    
    灯と着物●明治の明かり/布団と着物    
    お歯黒と出産●歯を真っ黒に染めて、眉を落として/子添えばあさん/産後のおかずは塩だけ   
   銭取り    
    塩浜●百姓唯一の銭取り仕事/カライモの植え道と塩浜の干し道/炎天下の重労勧    
    猛焚きと塩負せ●塩焚く折は鬼/甘い水俣塩/お得意/専売制と塩浜の廃止    
    山●山仕事の古い形/道と牛車、馬車/官山の伐採/さまざまな林産物    
    イワシ売り●舟津/薩摩へのイワシ売り/相撲取踊    
    金山の石炭運搬●日清、日露戦争と金山/ガラガラ ガラガラ/事故と警察    
    村の淫売屋
三 若っか者   
   オロロン コロロン    
    子守り●子守り唄/守り学校/半分は学校に行かん/一年生と馬車曳き/裸で背負う意味    
    守り奉公●子守りの居場所――夜と朝と昼/お金は一銭ももらえん/守り女/子は捨て散らかし    
    下男奉公●うちの下男/おぼえとれ/あやつはつまらんといわれんように/よその飯   
   青年組    
    唄でいく●田植え唄/米摺り唄/米搗き唄    
    青年組●明日からお前も青年ぞ/青年頭/オミツと源二郎    
    男宿と女宿●寝んな 寝んな/女子も男宿へ    
    夜這い●鉦叩きと犬と胡麻塩/来っとかい、来んとかい/お寺参り/ほおッどうか/村の伊達男/女心      雨乞いと虫追いと喧嘩●天の鳴り神さま/アラアメフロウ/虫追い/喧嘩/青年のする事には咎めなし      結婚●女一人に男三人/あとは石橋 岩流し/馴染み結婚がほとんど/親がくれんというのを/馴染みの心残   り/泣く泣く行った
四 狐 火   
   人間と共に住むもの    
    狐●狐の子/天然痘と狐の屁/九段の九蔵と侍のオサンジョ/狸の方が上手    
    化かすものたち●村の闇/怪しい場所/回り荒神と涙川/ガラッパ   
   疾病は村に満ち    
    悪病●病い神と川/隠して隠して/赤痢と腹薬/縄張ってコレラの見張り/医者の薬は焼き殺す/熱病と疱   瘡と梅毒/大金玉とハンセン氏病    
    子かれ医者どん●飲んだくれて/刑務所に三ヶ月    
    神経どん●明治のネガ    
    回り来る者たち●瞽女と琵琶弾き/わしゃ、浪花節語りでござすと    
    勧進●勧進の宿/虚無僧とドコクさん/百姓と勧進/勧進群像

第一巻「明治の村」1870〜1910年頃▼肥後と薩摩の藩境。山並が海にせまり、二筋の小河川が、申し訳なさそうに 僅かな沖積地を形作っている。その谷間と平地が、水俣村である。細川藩は、 藩境警備のため、多数の士族をこの小村に配備した。苛酷な年貢と士族の支 配。農民は、幕藩時代長く軛につながれていた。 ▼聞書は、民衆のはるかな記憶をたどり、暗雲の切れ間のような明治維新から 始まる。村は、たちまち西南の役の激戦地となる。その後、この村のたどつた 激動の運命を暗示するかのようにー。ともあれ、明治の水俣村は、新生の日本 資本主義と共に、歩みを始める。地租−金納制に対し、自然経済下にあった農 民は、途方に暮れる。作る米麦は、売るどころか食うに足りず、村の産業は、さ さやかな塩田のみ。あるいは、山に道路がつき、原始林に斧が入るにつれ山仕 事のみ。農民には、金の作りようがなく、博打が流行る。そこに金貸しが登場 する。農民の狭隘な田畑は、たちまち取り上げられ、金貸しは地主に、農民は小 作人になる。明治末には、村は疲弊の極に達し、村人は一村流亡の淵に立つ。 間書は、縦糸として、その歴史の経緯を追う。 ▼一方、明泊の水俣村は、草深い共同体の村であった。狐狸妖怪は人間と共存 し、乞食や瞽女、浪花節語りなどが村を訪れ、疫病は村に満ちていた。女の子 は、子守から娘になった。男の子は、百姓の下男から青年になり、一五才になる と同時に青年組に入った。娘は形式的にこそ青年組に従属したが、実質的には 自由であり、青年と対等であった。一東洋的共同体とは、われわれになつかし い言葉である。その共同体の論理は、資本主義の論理とは異なり、独自の世界 を形成していた。聞書は、横糸として、人々に東洋の片隅、日本の南九州の共同 体の物語を聞く。 ▼話を聞いた村の古老たち一かつての村の青年と娘たちは、今日では全て鬼 籍に入った。墓場寸前で、民衆が語り残した明治の村、それが本巻である。

■1991.7.16■
朝日新聞   
「公害」から「地球環境」へ チッソ社員が民衆史  
  チッソには社史がない。出す計画はあったが、「水俣病」というトゲがささったまま中断している。  
  しかし1回だけ、1970年に企業責任を問う世間の声に反論するため「水俣病問題の15年」という本を出したことがある。  
  前書きで当時の専務は書いている。「自分たちが働く会社が、性善であるかどうか、そのことは、人が生涯をかけて働く時に、きわめて重大な問題であります。この本を読んで、自信と安堵の念をもってもらいたい」    
  その年の春、熊本県水俣市では、チッソの工場で働く岡本達明さんと松崎次夫さんが、テープレコーダーを手に古老の家を回り始めた。明治の村の暮らし、工場の進出、労働者の生活、朝鮮への工場進出……。  
  二人とも当時30代で、岡本さんは東京生まれの東大法学部卒。松崎さんは朝鮮生まれ。朝鮮窒素肥料工場にいた父の後を継ぎ、中学卒業後、入社した。60年代初めに大争議が起こり、組合は分裂。二人は第一組合でツギちゃん、タッちゃんと呼びある仲になる。市民会議に参加し、患者宅を訊ね歩いた。  
  組合で自己批判の宣言も出した。「今まで水俣病と闘い得なかったことは、人間として、労働者として恥ずかしい」  しかし、それだけで満足しなかった。  
  「近・現代の水俣の人びとの暮らしや意識を掘り下げることなしには、水俣病もわからない」と、聞き書きが始まった。  
  患者の裁判で上京した時には、秋葉原で両手に提げられないほどテープを買って帰った。買い換えたテープレコーダーは15台、訊ねた人は約600人に。書き写したノートは、積み上げると1メートルを超えた。  
  でも、本にする気持ちはなかった。2人は約束していた。「自分たちのためにやったんだ。完成したら、原稿をたき火にして焼酎を酌み交わそう」と。  
  ところが、86年、松崎さんはバイクで電柱に激突。妻の靖子さんが病院に駆けつけると、意識がもうろうとする中でうわ言をいった。「水俣病を……何としても勝たせんば」  
  46歳で亡くなった松崎さんの葬儀に約700人が参列した。患者の姿が幾人もあった。「朝鮮から帰って苦しい生活だったから、患者さんの気持ちがよくわかったのではないですか」と靖子さんはいう。  
  残された子供たちに父親がこんな仕事をしたんだと見せてやりたい、と、岡本さんは思った。  
  同僚たちの応援で、東京の草風館から「聞書水俣民衆史」を出版。昨年、全5巻が完成した。登場する一人ひとりが主人公だからと、祝賀会はなかった。  
  高校生になった長男が靖子さんにいった。「お父さんの本、学校の図書室にあったよ」
   岡本さんは昨年、55歳で平社員のまま退職。同期は専務になっていた。  
  チッソの技術について、いまも勉強を続けている。最近、有機水銀発生の原因であるアセトアルデヒドの生成過程についてチッソの技術部が50年に作った内部報告書を入手した。  
  中に「アルデヒド関係の現象は泥沼といわれ、明確な判断は極めて困難」とある。水銀発生のメカニズムすらわからないまま生産を続け、その絶頂期に水俣病が発生した。  
  岡本さんはいう。「もうかればいいという体質はチッソだけではない。今の日本の技術全体につながってはいないだろうか」  
  産業公害が各地で噴出していた71年、環境庁が生まれ、今月で満20年を迎えた。「公害」から「地球環境」へと、時代が流れ、揺れ動く。足元を見据えて、破壊や汚染に立ち向かう人々を追う。

■1990.11.3 ■
毎日新聞
第44回毎日出版文化賞 受賞
歴史記録へ一指針  
 これは水俣の人たちからの聞き書き集である。編者たちにより、20年の歳月をかけてテープからおこされ、編集され、完成された。その意図は、「日本史の中でもっとも読み解かれていない」分野、すなわち歴史の中の民衆へのアプローチにある。全体を通じて、明治以降、第二次大戦に至るまでの、民衆の生活上の関心事が、浮き彫りされるようになっている。編集の縦糸の一つは、「生産」に置かれ、したがって必然的に村と工場が主題となる。
 全体は5部の構成をとり、明治の村、村に工場が来た、村の崩壊、合成化学工場と職工、植民地は天国だった、との副題が付されている。ここでの工場とは、日本窒素水俣工場である。また植民地とは、当時の朝鮮のことであり、興南に作られた同会社の興南工場にも、水俣から出かけて行った人たちの姿があった。  
  日本の「近代化」の過程の間に、水俣にはなにが生じたのか。この書物はその問いに答え、その土地に生きた民衆の記録を聞き書きに残すことによって、民衆史の面に貴重な業績を残しただけでなく、公式には残されない、歴史的な記録のあり方を例示した点で、将来への一指針を与える。これらの点で推薦に値すると思われる。


参考:草風館刊全5巻
「聞書水俣民衆史」2
「聞書水俣民衆史」3
聞書水俣民衆史」4
「聞書水俣民衆史」5

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