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   『聞書水俣民衆史 第3巻 村の崩壊岡本達明編著

■ 語りつがれた水俣の歴史/ 肌にしみこんだ時代の記憶がよみがえる■
●すいせん者●
色川大吉/太田薫/緒方登/鎌田慧/姜在彦
田上義春/立松和平/富樫貞夫/原田正純/星野芳郎
1990年毎日出版文化賞特別賞受賞◆  
A5判 縦組 288ページ 1989年刊     
コード ISBN4-88323-032-5  C1022     
定価 本体3000円+税

      


◆第三巻/目次より◆
一 地鳴りが聞こえる――共同体と貨幣経済   
共同体の紐帯    
開いて結んで――血縁の変化●義理の増大/血縁の凝縮    
夜這いと結婚の分離●嘘八百並べて/女に子供ができると    
私たちの結婚●「嫁御見」に来らった/金の糞    
結んで開いて――地縁の変化●五人組の末裔/家建て・萱葺き/死者は部落に属す   
村で生きていける戸数    
水俣で一番豊かな村●深川村の見取図/明治・大正の戸数増加/昭和はじめ頃の賃稼ぎ/昭和20年までの戸数増加/まとめ/深川小学校百周年記念誌    
山仕事●出しごろと牛車曳き/山の河童 

二 女買い――持てる者の貨幣経済   
放蕩狂時代    
村を走る狂気●荒使いが始まつた/嫁御もらうより買うた方がいい    
二代にわたる女遊び――元士族の場合●じいさん――田畑を抵当に入れて/覿父――財産を売り飛ばして    
長兄のドンチャン騒ぎ――元庄屋の場合●自動車と芸者/一駅員の分際で!    
私の放蕩――ある上百姓の場合●女郎屋の面白さ/担保設定通知/放蕩者の心理   
没落の唄    
小地主――長野さんの没産●総潰れ/探川村の地主の流れ            大地主――平野屋の没産●平野屋対日本窒素/広大な屋敷/競売    
没落後の旦那さん●豆席売り/娘さんの発狂と自殺/鶏小屋/旦那さんの最期   一元化された地主制●伊蔵の天下/町長争奪戦――日本窒素対伊蔵/権力の配分

三 不景気がやって釆た――閉塞する村   
働く所がない    
鏡工場は閉鎖、水俣工場は縮小●鏡工場職工日記/みんな首だった/水俣石灰窒素、セメント工場の廃止/不景気の到来    二つの狭き門●米一俵が5円に/軍隊の門/工場の門    
職工の弁当箱●日雇があこがれの的/田圃の代わりに    
八方ふさがり●銭は持たんや?/青年訓練と徴兵検査    
長島から水俣へ●男の金星/バナナと台湾兵/島を出る    
銭借り●高利貸/夜逃げと日掛通帳/講金    
事件師    
死に急いだ者たち●御大典と幽霊列車/色町の刃傷沙汰    
異境の住人たち     
勧進がゾロゾロ●馬車立場と勧進/ウラの村の勧進/三五郎どん/勧進小屋を焼く/勧進の笑い話    
神経どん列伝    
アチャ物語●アチャとアチャの子/どん底と想像力    
村を向いて拝め    
泊めてくれる家●うちさン来んな/かわいそうと思う心 四 木枯らしの果て――流亡と戦争   
国内への流亡    
地主支配の村●薄原村/焼畑/流亡    
因果●葛渡村馬淵/椿の花とアイスクリーム/ヤツボと私    
炭坑●多かった水俣者/彼女/死    
ある女街の回想●浮かぷ瀬はない/料理屋見晴/女衒になる    
「ミンナゲンキ」●子供の売り買い/お願いします    
植民地への流亡    
おふくろの一周忌●人間の油/河川工事/水俣では食や得ずに    
朝鮮から水俣へ●朝鮮人土方/深川村の朝鮮人   
 水快から朝鮮へ●一大センセ−ション/流亡のハイウェイ    
ここはお国を   
 張学良との戦争●熟河「討伐」/北平のすぐ傍まで    
泥沼●大陸の奥探く/点の戦争の特徽/日本に帰る道    
青年の居ない村●最後の夜這い者/男ひでり

第三巻「村の崩壊」1925〜1937年頃▼工業化がもたらしたものは、賃労働の一般化、つまり村の貨幣経済化だった。かつての藩境の村も、オイチニ! という日本資本主義の行進の後尾についたのだ。 ▼まず、人々の生活が向上する。その分、冠婚葬祭が派手になる。民衆の足は、 共同体に立っているので、親戚内の義理が増大する。周知のように、血縁は、共 同体の最深部の紐帯である。狭い村の中で血縁は折り重なり、血は凝縮する。 ▼村の中では、田畑がないために分家することができなかった貧農の息子も、 銭を稼いで独立できるようになる。一方、上農の間を放蕩熟が支配する。何し ろ金があれば、何でもできるのだ。先祖代々しがみついてきた田畑も、実は売 ることができるのだった。村の階層は激変し、土地は離合集散する。地主も、 遊興、政泊、事業の失敗などで、総潰れに近い状態になる。生き残った地主がお 山の大将になり、工場との間に権力争いが起き、やがて妥協が成立した。 ▼物事には表裏がある。民衆にとつて貨幣経済とは何であったかと問題を立 てれば、当然逆の命題が生まれる。光の当たり方により、違った図柄になる子 供の玩具絵と同じように。村を工業化した工場の技術は、大正末期には時代遅 れになり、昭和に入ると工場は縮少し、新規雇用は止まる。村は、一転不景気の どん底に落ち、青年の働き場所はな〈なる。青年たちの流亡先は、男は炭坑、女 は遊郭だった。工業化の過程で、工場が村の神になつたように、不景気の中で、 かつては蔑視の対象であった工員が、村人の神に昇格する。工員になれれば、 嫁御は選り取り見どりであった。折りしも、日本資本主義は、昭和恐慌に突入 する。閉塞した村社会の出口は植民地であり、村を吹き抜ける木枯しの果て は、大陸への侵略戦争であった。 ▼時間が収縮し、激動していく昭和の村。われわれのもう一つの基底。水俣の 民衆は、本巻で昭和の物語りを語り始めた。

■1991.2 ■
季刊青丘7号 
彼らの物語をわれわれの物語へ
 チッソの二人の労働者を編者とするこの本の場合(岡本は、元水俣第一労組委員長)、感慨は特別のものがある。主要部分が、工場で働いた人びとからの聞書の集積だからである。水俣に注目する人びとの視線は、当然ながらこれまでおもに、患者とその家族に注がれており、著者たちはそれぞれの角度からの造形力をもって、それらの人びとの伝声管の役割を果してきた。語り手の問題としては、この本は、そんな状況を一挙に打ち破った。
  しかもこれは、なまはんかな聞書ではない。聞書は近年、盛行の反面、不幸にもお手軽な著述の代名詞とも化しつつあるとの観があるが、この本は少なくとも3点で、そんなムードを吹きとばす力をみなぎらせている。
  第1は、聞き取りの徹底性だ。語り手は400人を越え、20年を要したという。その歳月は、聞き手たちが、話者と日常性のうねりを共にした生活者であることを物語る。第2は、よくもここまで本音をさらけだしたものだという点だ。地域のしがらみのなかで、これだけ赤裸々に、しかもほとんどの場合に実名で自己を語るのは、聞き手へのよほどの信頼関係なくしては、かなわぬことであろう。そして第3は、それだけのおびただしい聞書が、明確な方法的処理を施されている点だ。その方法とは、「聞書そのものとそれに基づく立論を峻別」したことである。従来の聞書が、「両者を混用し、作文的な民衆論に堕している」との認識による。その結果、編集は、厖大な語りから発酵する想念や記憶を、できるだけ総体として汲みあげうるような枠組を作り、そこへそれらを流しこむ手法をとった。
  編者は、これだけの体験=証言の集積を読者に突きつける。そこでの、民衆の生態の細密画を提示しての問いはおそらく2つ、(1)民衆とは何か、(2)植民地をもつとはどういうことか、であろう。このうち(1)については、これまで歴史学を初めとする諸科学が、民衆について一体何を明らかにしてきたかとの問い、(2)については、これまでの植民地体験の記憶が、引揚げのそれに片寄りすぎてきたのではないかとの問いも、それぞれ含まれている。顧みて、たじろぐほかない問いである。 "底辺"の民衆は植民者となることにより加害者と化する、との答えをだすのは、一見簡単だが、編者の求めるのは、そんな安易な答えではないだろう。逆に、やさしさも残念さをも含めての民衆像と徹底的に向きあい、答えをだしえない苦しさを存分に味わえ、ということであろう。そこには、民衆の問題を突きつめなければ、日本も世界も変わりえないとの意味での、民衆への信頼がある。と同時に、日本人の体験および記憶としてまとめあげることで、突きあわせる他者としての、朝鮮人側の発言を促そうとの姿勢もほのみえる。そしておまえはという問いも振りかかってくる。それにたいしてはいまのところ、彼らの物語をわれわれの物語へ、さらにわたくしの物語へと、反芻しつつ変換する途を探ろう、としか答えるすべをもたない。(鹿野政直)



参考:草風館刊全5巻
「聞書水俣民衆史」1
「聞書水俣民衆史」2
「聞書水俣民衆史」4
「聞書水俣民衆史」5

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