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 『聞書水俣民衆史 第5巻 植民地は天国だった岡本達明編著

■ 語りつがれた水俣の歴史/ 肌にしみこんだ時代の記憶がよみがえる■
●すいせん者●
色川大吉/太田薫/緒方登/鎌田慧/姜在彦
田上義春/立松和平/富樫貞夫/原田正純/星野芳郎
1990年毎日出版文化賞特別賞受賞◆  
A5判 縦組 352ページ 1990年刊     
コード ISBN4-88323-034-1  C1022     
定価 本体3000円+税

      
◆第五巻/目次より◆
一 植民地の巨大工事  
赴戦江発電工事と興南工場の建設    
日本窒素の朝鮮電気事業● 村が崩壊し水俣病の前兆が赴戦江電力資源の発見/地図でどこまで分かるか/川の水を逆に流す/長津江の原価1キロワット時2厘5毛/アメリカT・V・Aとの比較/大きいものは小さいものの延長ではない/水豊発電所は移住させたのが七万人    
いかにして赴戦江の水路を掘ったか●測量なしの無謀突貫工事/苦心惨憺した竪坑/人夫は水路全部で5000人以上/続出した事故と死傷者―警察署長も逃げだす/動力発屯所燃え工事は大ピンチに/破天荒の非常手段    
赴戦江堰堤工事と曝首●漢垈里の堰堤工事に行く/赴戦高原/集団凍死していく支那人クーリー/警察官以上/火田民/大洪水/幽霊写真    
輿南工場の建設●あそこからここまで買収せえ/集会場に集まって反対運動/1日1万人使うのが限度/建設の苦労/都市計画も立案    
植民地生活の始まり    
水俣からの転勤職人の回想●最後まで残った一軒/饅頭墓と飯場と糞の山/夜は外に出られん/夏から冬へ/興南の自然は楽園だった    
朝鮮人の目、日本人の目●朝鮮人部落と日本人社宅/盗み合い    
安い物価、多い収入●5厘という残があればなぁ/金が取れる  

二 植民地の化学工場  
日本人の工場    
輿南肥料工場●朝鮮人の募集なんかしていない/原則として日本人が運転する    
本宮カーバイド工場●原野を工場で埋めつくす/激変していった工員構成/日本人職工と朝鮮人職工―今度は自分が野口遵じゃ/大型カーバイド炉の労働/人間の丸焼き/一日も早く組長になりたい/どうやって朝鮮人を使うか    
海軍航空燃料アセトアルデヒド工場●水俣の5期と同じ設備を16セット/分溜器操作経験工はたった3名/難しかった操作/廃液と精溜塔ドレンは城川江に/水銀/続出した機器の故障、稼働率は50%/憲兵と監督官    
統治と技術    
個人と民族●歴史の理解のしかた/製缶係の朝鮮人職人/朝鮮人とみたら……と思ぇ    
死傷を前提にした技術●燐酸と硫酸−汚いひどい工場/新しいものをいきなり大きくしてやった/人が死ねのは交通事故といっしょ/基礎のないところに建物は建たない/最悪だった接触硫酸/確立していた職場規律/背後のことなんか気にするな

三 植民地の民衆  
鬼針金の鉄条網の中で    
いかに工場を警備するか●門と見張所/物品持ち出しと身体検査/処罰と得点/殴打と水ホース/警備長の誇り    
逃げ帰るオモニ●供給人夫/金券/徹夜が4日も5日も/追い回し/零下20度の岸壁で    
俺より下は居ない●朝鮮も不況だった/残業とオモニ/朝鮮人の友達    
カフェと遊郭●飲む以外にやることがない/スリーチブ/飲んでは朝鮮人と喧嘩/女買い    
頭の切り替ぇ●学生服姿で敷島の箱を抱いて/子供がいきなり監督に/鉄棒を肌身離さず/頭の切り替え/下地と制度    三つの言葉●母の教え/母の教えの実践    
日本人社宅の奥さん    
社宅の暮らし●狭い傭員社宅/ユートピア/あっち行ってペチャクチャ、こっち行ってペチャクチャ/空にゃ今日もアドバルーン/栄耀栄華/色恋沙汰    
朝鮮八部落●狭い道、小さい低い家/シラミ/のんびりした百姓    
夜逃げ先●片倉製糸大分工場/捜索願/畑上さんのむごい死/うちの着物    
金の玉を握り錦を飾る●二度の移住/朝鮮に遊びに来たのと違う/終戦のとき貯金2万円/オモニと私    
昨日をあざ笑う●植民地での二つの考ぇ/なぜぜいたくするか

四 植民地の崩壊  
三六年め    
戦時下及び末期の工場●暴力とその限界/抵抗/アルミ「中隊」と囚人/憲兵    
四人の兵士●第一話−朝鮮海峡/第二話−水俣から釜山へ/第三話−羅南から京城へ/第四話−麗水から興南へ    
敗戦直後の興南●マンセイ マンセイ/ソ連軍の工場接収/兵隊狩りと武器の接収/自分たちを苦しめた奴を    
一職人の日記 8月15日〜9月3日    
社宅の入れ替わり●日本人の品物/朝鮮人社宅へ/日本人は朝鮮人に、朝鮮人は日本人に難民化と興南地区人民工場    災厄●ソ連兵/発疹チブス    
一職人の日記つづき 9月末〜11月    
飢え●栄養失調/人夫と指名就労    
建国する側●工場を守れ/ゼロから始まった/意気軒昂/ソ連軍の役割/オーバーアクション       
日本人技師者連盟●弱点は技術者の徹底的不足にあり/人民工場工作官/幸せな帰国   
日本への逃亡    
人間の極限●闇船/陸路/川流れ子/乞食    
一職人の教会報告●人は神の前に平等/金の死とその子供/私の引き鴇げ/一生忘れられない朝鮮人の心/聖書の言葉    夫の国へ●日本人と結婚/見とればかわいそうになって/どごの国でもどこの村でも助ける人が居る   
植民地とは何であったか

第五巻「植民地は天国だった」1925〜1948年頃▼水俣の村と工場の道をたどつていくと、朝鮮に出る。いやでも、植民地の問題が、正面に立ちはだかってくる。歴史的な経緯を記すのは、やさしい。日本窒素は、アンモニア合成に成功するや、直ちに朝鮮赴戦江に二〇万キロの大発電所を作り、興南に硫安年産五〇万トン(当時世界第三位)という巨大化学工場を建設する。興南工場は、やがて総合的化学コンビナートに発展していく。水俣工場からも、多数の労働者が転勤。その親戚知人を頼り、まるで民族移動のように、水俣から人々が朝鮮に渡った。 ▼植民地は、物価は安く収入は多かった。水俣では夢にも考えられなかった、 栄耀栄華な暮らしができた。出世も早かった。万国の労働者などというもの はなかった。末端労働者でも、支配民族の一員だった。日本人と朝鮮人の間で、 個人と個人の関係は、存在しなかった。あるものは、民族と民族の関係だけで、 蔑視と憎悪に満ちていた。「朝鮮人は…と思え」という公式だけが、通用した。 暴力がまかり通った。 ▼本巻は、日本窒素が、朝鮮でどのようにして大発電所や巨大工場を建設して いったかに始まり、朝鮮における水俣の民衆の生きざまや意識を、克明に聞書 していく。日本人労働者は、身分別に分けられた「大社宅区域」に住んだ。対す るに、山の付け根にみじめな朝鮮人部落があった。工場の中での労働の有り様 や朝鮮人労働者との関係は、もちろん追う。そして敗戦。世界は引っ繰り返り、 日本人は社宅から追い出される。ソ連軍の駐留、飢えと病気、日本への逃亡行 一。当然のことながら、本巻が、日本人民衆の記録であることは、留意して欲し い。朝鮮人で、興南の記録を作る人があるとすれば、全く別のものになり、真実 の大半は、その幻の記録に記されることになるだろう。 ▼全巻にわたった聞書は、本巻でひとまず終わる。村が二巻、工場が二巻、朝鮮 が一巻。水俣民衆史の意味は、読む人により、さまざまなとらえかたがあるに 違いない。

■1990.10.4 ■
熊本日日新聞
うぶすな百年の壁画
現代口碑学へ新地平拓く

谷 川 雁

記録破りの夏がまだ炎をあげている8月の末、『聞書水俣民衆史』全5巻が完結した。私にとって自分の<うぶすな>の長大な壁画ができあがった心持ちである。お生まれははどこ。水俣病のミナマタですと答えてきたが、ゆりかごの微妙な震えを語るのはむずかしかった。これからは、どうぞこのシリーズをお読みくださいといえばいい。青くやせた自分の幼年時代の外界を説明するのに、これがあれば一言もつけ加える必要がない。
  眼科医の父がチッソの新工場のざわめきにひかれてやってきたのだった。汐入り川のあけがたの満潮にうまれた私は、蓮田の汚水がにじむ道を、豚小屋のにおいに鼻をつまみながら学校へ通う。校庭で、目の前にある工場をしょっちゅう写生した。ときならぬ爆発。巻かれたほうたいが解けた日の眼、いまは死語となったプロレタリアートになりかけている蜻蛉のヤゴの眼を、こどもの私は何度も見た。
  変化はつねに山のかなたからきて、時は移るべくして移った。西郷戦争があった。金山への馬車引きがあった。塩浜の労働があった。村をおおうバクチと疫病と地主の放蕩があった。そこへ科学の<弁操作>がさしこまれた。河童の聖域であった湿地にともった小さなカーバイド工場の火が、やがてアジアの天地をこがす焦熱の原料になり、現代世界の尻子玉を暗い淵にひきずりこむあの病にまで変りつづけようとだれが予想したろう。
  めまぐるしい小天地の走馬燈は何かに似ている。いわばラテン・アメリカの小説に一脈通じる風景である。比喩のずれを許してもらえば、インディオ、土着の白人、黒人、白い移民、交代する支配者としての外国人といった縞もようがった。それは大牟田、八代などの工場町よりはるかに<南部>特有の実存にみちていた。水俣病はこの葛藤によって染めあげられた意識の産物なのだ。歯ぎしりするさげすみと羨望の悔恨の混交状態は、いまだに外からは認識されないブラック・ボックスのままだ。熊本県民は、水俣のドラマの根を知らない。
  だが、悲劇の背景の解説として、これほど説得力のある読物もあるまい。登場する語り部の実数は男女およそ300人。その9分9厘は土地の実生いであって、維新から敗戦までの80年を、この地の民が得意とする歯に衣きせぬリアリズムで、固有名詞に遠慮することもなく、精細きわまる具体性で語りつぐ。百千の挿話の端切れが系統を追って配置されていくうちに、事実の空隙は埋められ、シニカルでおどるような語り口がいつしか人間喜劇の巨大なつづれ織となってひろがる。
  もちろん私の知った顔もある。友人の血族もいる。けれども同窓会の写真のような盲目の親和感も、堂派を組んだひきつりもない。ここにあるのは、はるかな星團さながらにつめたく澄んだ<内なる水俣>である。正味の水俣がここにいる。寺の近くに橋があり、たむろしていた子守娘らは泣く子を背負い帯でゆわえて川面につるし、ヨーヨーのように上下して恐怖のあまり泣きやむのをなぐさみにしていたっけ。彼女らの乾いた精神にひびきあう即物性がこの聞書の骨格になっている。
  一朝一夕の作業ではない。20年間の聞きとりを整理した<口碑による絵巻物>。一級の史料がしばしばそうであるように、まとめられた総体は文学の域に達している。誇張だとおもう人は死刑因永山則夫の作品と読みくらべてみるがいい。虚飾なき貧窮の鉛筆画というものが南北をこえてある相似をもっているのにおどろくことだろう。辺境の村にとって近代とは何であるか。すでに数かぎりもなく発せられ、いまアジアのすみずみで波だっているこの問にたいする正解はまだない。まさにそれゆえに、社会学、経済学、民俗学などもろもろの学の基盤をなすこの<現代口碑学>への方法意識は貴い。現地の水俣に各巻700人の読者がいるという事実が、眼をみはるようなその可能性を示している。
  編者のひとり岡本達明は激動期のチッソ労組委員長になったとき、争議の深層をわが身になっとくさせるためにこの作業をはじめた。そしてもうひとりの編者である若き同志、書記長松崎次夫を事なかばにして不慮の交通事故で失うのである。苦節の半生がうんだこの成果は、現在の労働者運動において真の内包がどこにあるべきかを考えさせる衝撃力をもっている。



参考:草風館刊全5巻
「聞書水俣民衆史」1
「聞書水俣民衆史」2
「聞書水俣民衆史」3
「聞書水俣民衆史」4

 

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